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若林城跡

仙台藩初代藩主伊達政宗晩年の居城跡で、城内には政宗が朝鮮より持ち帰ったという梅の古木が残る。

若林城跡の来歴

宮城県中央部、仙台城下南東端に接し、少林神社付近より豊富で良質な清水が湧き出ていたことが地名の由来という旧宮城郡小泉村(現若林区古城二〜三丁目・若林一〜七丁目ほか)。村域中央部、広瀬川北岸の自然堤防上に、藩祖伊達政宗が晩年の居所として築いたともいわれる近世城館、若林城があります。

若林城の規模は、東西約四〇〇㍍、南北約三五〇㍍で、縁辺に高さ約六㍍の土塁、その外周には堀が巡っています。北西角、北東角、南辺中央、南西角の四ヶ所に張り出しがみえ、南辺を除く三辺に設けられた出入口は郭内で桝形となり、大手にあたる西門跡には、高さ約二㍍の内桝形の土塁が残存しています。

若林城は、寛永四年(1627)に「仙台屋敷構」として幕府の造営許可がおり、国分氏の居城跡地に築城されました。翌年十一月、政宗は普請がなった若林城に入り、祝の儀を催しました。城内には居所のほか櫓や庭園も造られ、また、築城と同時に侍・町屋敷が割り出され、若林城下町が形成されていきました。

寛永十三年(1636)政宗が没すると、その遺言に従い「堀一重」を残して廃城となり、建物は仙台城二の丸に移されたほか、城門は松音寺の山門として移築されたと伝えられています。城内には文禄の役で政宗が朝鮮より持ち帰った「朝鮮ウメ」と呼ばれる梅の古木があり、国の天然記念物に指定されています。

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若林城跡(小泉古城)へのアクセス

  • 〒984-0825 宮城県仙台市若林区古城2丁目3
  • JR東日本「仙台駅」より車で12分
  • 地下鉄東西線「薬師堂駅」より車で6分
  • 仙台南部道路「長町IC」より車で7分

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