南奥羽歴史散歩
宮城県生まれ。南奥羽の名所旧跡を悠々閑々と訪ね歩き、物見遊山に日を暮らす掃苔家で巡拝家、偶に登城家なブロガー。掻い撫での道楽な為、歴史は苦手。気の利いた著者略歴が書けず、いつも頭を悩ませている。
天文の乱の舞台ともなった、伊達氏重臣石母田氏の居城跡。
伊達政宗が落馬したとの記録が残る侍町、北谷地小路。
藤原経衡、伊達政宗が奉安した虚空蔵菩薩が残される新田氏の菩提寺。
支倉六右衛門の墓という宝篋印塔が残る支倉氏の菩提寺。
奥州藤原氏と源頼朝軍の決戦場となった防塁跡。
阿津賀志山の戦いにおいて、源頼朝が鎌倉軍の本陣を置いたという。
葛西大崎一揆における宮崎城合戦で戦死した伊達家の智将、浜田伊豆の墓。
鮎貝氏との合戦に敗れた政宗が、桜の洞に隠れ難を逃れたいう伝承が残る。
天正十五年、鮎貝宗信が政宗に謀反を起こすも伊達氏に攻略され落城した。