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童生淵古戦場跡

天正十八年五月、相馬氏と伊達氏が戦った古戦場跡で、相馬盛胤の次男で中村城代の隆胤が伊達勢に隙をつかれ、「十枚打」という深田に馬を乗り入れてしまい討たれたという。

童生淵古戦場跡の来歴

奥相茶話記

相馬兵部太輔隆胤討死事

岩磐史料刊行会 編『岩磐史料叢書』上巻,岩磐史料刊行会,1916.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1885901 (参照 2024-12-22)

東奥中村記

兵部太輔隆胤并門馬上総討死之事

泉田胤信 編『東奥中村記』,泉田胤信,明30.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763405 (参照 2024-12-22)

貞山公治家記録

天正十八年(1590)五月条

◯十四日甲寅相馬殿盛胤父子駒嶺ニ向テ働カル亘理元安斎同 兵庫殿重宗黒木上野宗元等相馬領宇多郡中村小豆畠ニ於テ大ニ戦テ其三男隆胤ヲ討得及ヒ黒木上総〔諱不知〕ヲ始メトシテ数百人討捕ラル泉田安芸重光石母田左衛門景瀬船迫右衛門〔諱不知〕及ヒ小斎円森ノ兵加勢スト云云

小斎城主ハ佐藤紀伊円森ハ高野壱岐ナリ壱岐ハ今度小田原 御参陣ノ御供ナリ其与力家士等打出加勢スト見エタリ◯此 戦亘理家ノ記録ニ五月十八日トシ加勢ヲ国分右衛門トスル ハ誤リナリ◯或記ニ云ク天正十七年相馬殿義胤新地駒嶺ノ 地ヲ取復サント弟平太郎隆胤ニ命シテ働カシム隆胤大将ト シテ相馬ノ境下沢辺十二所ト云フ所ニ近陣シ凡百騎許リノ 勢ヲ以テ駒嶺ヘ働キ出ラル黒木上野宗元謀策ヲ運ラシテ大ニ奮撃ス相馬勢悉ク敗績シテ隆胤ハ亘理殿家士国分右衛門ト云者討捕ル其後相馬ヨリ同慶寺住持ニ山伏ヲ差副遣シ彼死骸ヲ乞テ還ルト云云是ハ今度小豆畑戦ノ事去年夏下沢辺十二所戦ノ事ヲ一時ノ事ト誤リ伝ヘテ記ス者ナリ国分右衛門ヲ亘理殿家士トスルモ亦未詳

『伊達家治家記録 第1』

童生淵古戦場跡へのアクセス

  • 〒976-0006 福島県相馬市石上堂下
  • JR常磐線「相馬駅」より徒歩33分
  • 常磐自動車道「相馬IC」より車で12分

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