国指定史跡 遠見塚古墳
藩政時代には古戦場や物見台と見なされていた市内最大の前方後円墳宮城県中央部、仙台城下の南東端に接し、広瀬川北岸の宮城野原平坦地に位置する旧宮城郡小泉村(現若林区遠見塚一丁目〜三丁目・古城
藩政時代には古戦場や物見台と見なされていた市内最大の前方後円墳宮城県中央部、仙台城下の南東端に接し、広瀬川北岸の宮城野原平坦地に位置する旧宮城郡小泉村(現若林区遠見塚一丁目〜三丁目・古城
粟ノ巣の変で不慮の死を遂げた伊達輝宗の首塚が残る福島県北部、中通り低地帯の北部に位置する福島市。市域の南西部、荒川と鍛冶屋川の扇状台地に旧信夫郡佐原村(現福島市佐原)があり、鍛冶屋川左岸
北の関ヶ原とも称される長谷堂合戦で討死となった両軍戦没者の碑山形県中央部東寄り、山形盆地の南部に位置する山形市。市内南西部に最上氏時代の支城、長谷堂城の城下町であった旧長谷堂村(現山形市
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山形城主最上義光嫡男修理太夫義康が葬られたと云う修理塚山形県西部、庄内平野の西南部に位置し、庄内藩の城下町として栄えてきた鶴岡市。市内を北流する赤川左岸に旧下山添村(現鶴岡市下山添)があ
葦名直盛が建立した宝積寺と花見ヶ森廟に残される葦名氏三代の霊廟如意山 宝積寺福島県西部、会津盆地の南東隅に位置する会津若松市。鶴ヶ城を中心とする若松城下の東に旧小田村(現会津若松
県北地方最古の曹洞宗の古刹で畠山義継の首塚が残る福島県中通り北部、阿武隈山地西斜面、広瀬川流域に位置する旧伊達郡飯坂村(現伊達郡川俣町飯坂)。川俣氏の古城、城ノ倉城の背後には、県北最古の
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葛西大崎一揆の戦死者二千七百余人を葬った場所と伝わる宮城県北部、迫川流域の平坦地に位置し、江戸期には亘理氏の城下町として栄えた登米市迫町佐沼。その市役所西方の高台に、葛西大崎一揆の戦死者
慶長出羽合戦の後、最上・上杉両軍の戦死者を葬ったと云う羽州街道の宿場町として栄え、かみのやま温泉で知られる山形県上山市。天正十六年(1588)伊達と大崎・最上連合軍が争った大崎合戦の際、
大崎合戦で伊達軍の殿を勤め討死した小山田城主、小山田筑前の墓宮城県北東部、鳴瀬川と田川の合流点東北部に位置する旧中新田町(現加美郡加美町の一部)。町を南北に走る羽後街道を北上し、鳴瀬川に
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仙台藩初代藩主伊達政宗の灰塚が残る浄土宗増上山三縁院大願寺仙台市の北西部、北山の寺町に続く寺院街である仙台市青葉区新坂町。江戸〜昭和期にかけて大願寺前丁と呼ばれた街路を西に進むと、石城郡