亀松山 東陽寺
原田氏の菩提所だった曹洞宗の寺院で、文明年中、高玉村の瑞竜院五世九皐宥鶴が現在地に再興したと伝わり、近くには天正年中に原田氏が居住した原田館跡がある。
やまがた‐けん 【山形県】
東北地方南西部の県。明治元年(一八六八)に出羽国から分かれた羽前国と羽後国の一部分とにあたる。同四年の廃藩置県により、米沢、山形、上山、天童、新庄、鶴岡、松嶺の七県が成立。のち米沢県は置賜県に、松嶺県は酒田県に改称され、さらに置賜、山形、鶴岡の三県に統合され、同九年三県が合併して現在の県域が定まる。県庁所在地山形市。
『日本国語大辞典』
戦国時代、押切備前守の築城と伝え、寛永九年、熊本藩主加藤忠弘が改易され庄内藩主酒井忠勝に預けられた際、忠広は父清正の遺骨と共に当城に移ったという。
慶長出羽合戦の際、直江兼続率いる上杉軍の猛攻を受け、ついには落城した畑谷城の江口光清の墓で、慶長五年の銘と「長松開基江月秋公大居士」の戒名が刻まれる。
延徳寺は塩野毘沙門堂の別当寺で、大同四年(809)創建、延徳二年(1490)伊達尚宗の再建と伝え、天正年間、鷹狩りに赴く政宗が度々立ち寄っている。