葦名館跡(葦名在所)
戦国大名の雄であった会津蘆名氏の支流、葦名豊前盛寿が居住した在所跡宮城県北西端にあって夏川を境に岩手県に接し、南境を迫川が東流する旧石越村(現登米市石越町)。戦国期には葛西・大崎の二大勢
戦国大名の雄であった会津蘆名氏の支流、葦名豊前盛寿が居住した在所跡宮城県北西端にあって夏川を境に岩手県に接し、南境を迫川が東流する旧石越村(現登米市石越町)。戦国期には葛西・大崎の二大勢
葛西大崎一揆の戦死者二千七百余人を葬った場所と伝わる宮城県北部、迫川流域の平坦地に位置し、江戸期には亘理氏の城下町として栄えた登米市迫町佐沼。その市役所西方の高台に、葛西大崎一揆の戦死者
葛西大崎一揆の戦いで、伊達軍の留守政景はこの地に陣を構えた宮城県北部、迫川流域の平坦地に位置する旧栗原郡北方村(現登米市迫町佐沼・北方)。仙台領内北部と仙台城下を結ぶ枢要の地であったこの
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一揆鎮圧のため佐沼城を攻める際、政宗本陣が置かれたと云う神明社の跡地葛西大崎一揆で激戦の地となった佐沼城から西へ七〇〇㍍、登米市斎場がある一角に神明社跡が残されています。天正十九年(15
難攻不落の佐沼城に対して万策尽きた政宗が祈願したと伝わる宮後県北部に位置し、葛西大崎一揆の舞台となった佐沼城がある事で知られる登米市迫町佐沼。その佐沼城から迫川沿いに1.2km程南下する