八幡山 正西寺/香積山 華光院跡/標葉氏墓所
慶長五年(1600)政宗が上杉景勝を討つため大坂からの帰途に宿泊した華光院の跡地で、明治初年(1868)正西寺の寺地となり、境内には標葉氏の墓所がある。
慶長五年(1600)政宗が上杉景勝を討つため大坂からの帰途に宿泊した華光院の跡地で、明治初年(1868)正西寺の寺地となり、境内には標葉氏の墓所がある。
三蘆城を退去した石川昭光に伴い角田に移転した石川氏の菩提寺で、境内墓地には、石川昭光をはじめ、宗敬と夫人の牟宇姫、政宗側室於山の方などの墓碑が残る。
寛保元年(1741)永寿寺跡地に貞明院日総上人が建立した寺院で、境内の乙姫桜は、伊達政宗が将軍家に献上する桜の苗木のうちの一本を植えたものだという。