相馬隆胤公首塚の来歴
首塚
天正十八年(一五九〇)、伊達との戦いで中村城々代相馬隆胤が石上の童生淵(古文書では道生淵の表現もある)で馬が深田にはまり身動きができなくなったところを敵に襲われ亡くなってしまう。
家臣の寺島勘六は、敵に我か殿首を取られるのは相馬の恥であるとして、自らの腹を割り切り、殿の御首を我が腹に入れ黒木まで逃れて息絶えたという。ここに隆胤公の首を埋葬した。
『現地石碑』より
相馬隆胤公首塚へのアクセス
- 〒976-0052 福島県相馬市黒木本町
- JR常磐線「相馬駅」より車で9分
- 常磐自動車道「相馬IC」より車で9分