県指定史跡 十五里ヶ原古戦場の来歴
史跡 十五里ヶ原古戦場と東禅寺右馬頭の墓
戦国末期の庄内は山形の最上家と越後の上杉家の争奪の場であった。上杉家と結んでいた尾浦(大山)の武蔵義興は、天正十五年( 一五八七年)最上義光と酒田の東禅寺筑前の攻撃をうけて滅亡、義興の養子義勝は実父本庄繫長(越後村上)のもとに逃げ復讐を誓った。翌十六年夏、繁長義勝父子は数千の大軍を率い庄内に侵入した。東禅寺筑前は弟の右馬頭を大将にこれを迎え撃ったが、戦い利なく敗北した。右馬頭はみずから敵陣に斬り込み、繁長に一太刀浴びせたが、目的を達せず悲壮な最期をとげた。これが歴史に残る十五里ヶ原の戦いである。
祠堂は右馬頭の墓、右手前四基の塚は討死した将士の首塚といわれている。
史跡十五里ヶ原古戦場及び東禅寺右馬頭の墓保存会
『現地案内板』より
社団法人荘内文化財保存会
鶴岡市指定史跡
十五里ヶ原古戦場 草岡八幡
戦国末期の天正十六年(一五八八年)夏、越後の本庄繁長、義勝父子、数千の大軍を率いて庄内に進攻。
最上勢援軍の武将、草苅虎之助は、 東禅寺右馬頭らとこれを迎撃したが、戦い利なくこの地で果て、草岡八幡として祀られる。
これが歴史に残る十五里ヶ原の戦いである。また、この地は庄内平野の原生を残している貴重な自然河川地帯でもある。
昭和五十三年十月 社団法人荘内文化財保存会
『現地案内板』より
県指定史跡 十五里ヶ原古戦場へのアクセス
- 〒997-1122 山形県鶴岡市友江中野
- JR羽越本線「鶴岡駅」よりバスで「愛宕神社前」下車、徒歩2分
- 日本海東北自動車道「鶴岡西IC」より車で9分
草岡八幡へのアクセス
- 〒997-0057 山形県鶴岡市安丹
- JR羽越本線「鶴岡駅」よりバスで「愛宕神社前」下車、徒歩2分
- 日本海東北自動車道「鶴岡西IC」より車で9分