諸法山 実相寺の来歴
貞山公治家記録
天正十九年(1591)八月条
◯十八日辛亥是ヨリ前 大神君二本松ヨリ岩手沢ヘ御移リ当所実相禅寺ヲ旅館トシ玉フ時ニ岩手沢領ノ在々百姓以下御威光ヲ恐レ悉ク退敗ス因テ今日住持奪境和尚及ヒ百姓共ニ榊原式部大輔殿康政方ヨリ書付ヲ以テ百姓以下本所ニ還住耕作致スヘキノ旨下知セラル書付左ニ載ス
当岩手沢領之在々百姓并宿人如前々本屋敷江令還住作毛興之同ウリカイ以下可致之此地仕置被 仰付候間少モ地下人百姓宿人ニタイシ努々非分横合之儀有間敷候モシ申懸仁於有之者其者ヲヽシ立可申上候則可令成敗候殊ニヲシ立夫伝馬何成共横役有間敷候委細実相寺江申渡候間此旨ヲ以早々可令還附者也
八月十八日 榊原式部大輔書判
実相寺同百姓中此実相寺住持奪境和向ヘ玉造郡下野日村ニ於テ寺領トシテ五百石ノ所ヲ寄附セラレ 大神君御朱印ヲ賜フ然ルニ奪境和尚程ナク遷化シ御朱印紛失スト云云
天正十九年(1591)九月条
◯十月癸酉 大神君ヘ御使者ヲ以テ御書御進物進上セラル所ニ御返書ヲ成シ賜フ此節 公ハ高清水城ニ御座シ御病気ナリ 大神君ハ岩手沢ニ御在留アリ岩手沢ヲ 公ノ居城ニシ給ヘト仰セラレ御再興御縄張ヲ以テ城普請仰付ラル旦又栗原郡佐沼ハ大崎葛西ノ要衝ナリ御用心トシテ 当家ノ重臣ヲ差置レ可然由仰セアリテ是亦城御再興御縄張ヲ以テ普請仰付ラル御返書左ニ載ス
如芳札近日者普請取紛無音相過本意之外候仍佐沼之儀モ人数差遣候之間普請定軈而可為出来候可御心安候将又御煩気被得少減之由肝要存候無油断御養性尤候次三種送給候度々御芳情祝着之至候猶使者申含候恐々謹言
九月十日 家康御書判
羽柴侍従殿此時節 公ヨリ度々御音言ニ及ハル御書等ハ不伝
『伊達家治家記録 第1』
諸法山 実相寺へのアクセス
- 〒989-6446 宮城県大崎市岩出山大学町122
- JR陸羽東線「岩出山駅」より徒歩26分
- 東北自動車道「古川IC」より車で16分