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国指定名勝 黒塚の岩屋/真弓山 観世寺

神亀三年、東光坊祐慶の開基と伝え、安達原の鬼婆が籠ったという岩屋や、その首を埋めたという黒塚が残り、黒塚は政宗と氏郷の領土問題の根拠にもなったという。

黒塚/真弓山 観世寺の来歴

氏郷記

(天正十九年秋)

其比ノ事ナルニ、氏郷ノ分領安達郡ニ公事アリケリ、故ヲ如何ニト尋ルニ、郡内ニ河アリ、川ヨリ前ヲ安達カ原トテ、氏郷ノ分領ナリ、川ヨリ向ヒニ黒ツカアリ、是政宗ノ分領ナリ、此黒塚ヲ会津領分ナリト云、川ヨリ向フ者ハ政宗領分ナリト、互ニ近郷ノ者共証拠ヲ申立テ、境相論ノ公事ニ及ケレハ、氏郷是ヲ聞給ヒテ、平兼盛カ歌ニ

 『陸奥ノ安達カ原ノ黒塚ニ鬼籠レリト云フハ誠カ(人ヤ見
ルラン)』

ト云古歌アレハ、安達カ原ニ付タル黒塚ナリトテ、遂ニ勝ニソ成タリケル、イト面白キ沙汰トテ世ノ人皆諷シテリ、

『二本松市史 第3巻(資料編1 原始・古代・中世)』

【八〇〇】蒲生郷成宛氏郷書状

急度申遺候、其元人多に有之由尤に候、弥無油断可被有付候、随而二本松堺目之儀、自然下々申事候共一切被取合間舗候、若彼方より手をすくさせ候へは、尚以公儀可然候間、かりそめにも無取合候ては、可為越度候、そこさへ丈夫に候へは、能々人に手をすくさせ候程、我存分に成事候、護言

   九月三日 氏郷

   蒲生源左衛門殿

『近江蒲生郡志 巻3』

【769】伊達五郎宛書状

一伊達藤五郎殿へ被遣候御書写

幸便之条申述候、今朝浅弾為書札如此承候、菟角会津ニ遣案内者候而、種々能様ニ申候与相見へ候間、於其元も白河案内者、二・塩案内者、年も寄候人ヲ被尋出、大森ニ浅弾御登之時分、具申分候様、兼而其心得千言万句ニ候、根人さへ慥ニ申分義候ハヽ、時宜可相澄由存事ニ候、諷々如何様ニ候而も、今般事澄候様、念望訖之事候、草動可申、又浅弾より之文、忠三郎殿したの衆より弾正殿へ之両通共、進之候、御被見之後返し可有之候、恐々謹言、

追啓、重而御到来申候間者、いかやうニ候ても、其御地ニ御こたへ候へく候、已上、

  (天正十八年)
  十月三日 政宗御書判

   五郎殿

右、大堀助左衛門所持、御記録ニ摘載之、

『仙台市史 資料編10 伊達政宗文書1』

【772】伊達五郎宛書状

態飛脚被相越候、祝着之至候、根人有」間敷由承候、力モ無之候、併如何様ニも御分」別候而、安積辺之者成共被尋出、御同心可」然候、明日七日、大へ罷越事ニ候条、浅弾も」明日か明後日者、大へ、必々可被打越候間、」急々安内者御同ヨリ」之状、不参候哉、尋失申候間、不進候、別而」替事無之候キ、先達申述候一義迄ニ候キ、」只々会津にてハ、種々以計策根人をも」少々作り被出候なとゝ申候、菟角いかやうニ候ても、」如形も存候人、御尋尤ニ候、さりとてハ〳〵」〳〵〳〵〳〵、此一義ニて澄事ニ候、返々々、」不可有御油断候、急之間、早々申入候、」書中よめかね申へく候、恐々謹言、


    (天正十八年)
     十ノ六日〔牛刻〕 政宗(花押)
       五郎殿

『仙台市史 資料編10 伊達政宗文書1』

奥の細道

五月朔日

かつみ〳〵と尋ねあるきて、日は山の端にかかりぬ、二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る、

曽良随行日記

二本松の町、奥方之はづれニ亀ガヒト云町有、ソレより右之方へ切レ、右ハ田、左ハ山ギワヲ通リテ壱リ程行テ供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡シ有、ソノ向ニ黒塚有、小キ塚ニ杉植テ有、

『二本松市史 第9巻(各論編 2 自然・文化・人物)』

黒塚へのアクセス

  • 〒964-0938 福島県二本松市安達ヶ原4丁目
  • JR東北本線「安達駅」より徒歩45分
  • 東北自動車道「二本松IC」より車で10分

真弓山 観世寺へのアクセス

  • 〒964-0938 福島県二本松市安達ヶ原4丁目126
  • JR東北本線「安達駅」より徒歩45分
  • 東北自動車道「二本松IC」より車で10分

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