田子屋館跡の来歴
福島県中通り北部、福島盆地と郡山盆地を界する丘陵地帯に位置する二本松市。市域北部、安達太良山東麓の斜面と裾地に跨って旧安達郡渋川村(現二本松市渋川)があり、東流する払川南岸の埋積谷に残された比高約四〇㍍の独立丘陵上には、畠山氏家臣遊佐氏の居城で、渋川城とも称される田子屋館があります。
田子屋館がある丘陵の北東は急斜面、南は緩斜面となり、西側の中腹に高さ五〜七㍍の土塁、山裾には深さ二〜四㍍の空堀が二〇〇㍍余り残されるほか、浅い谷で分断された南東の小丘陵には桑原館があり、東側に一〇〇㍍余り続く土塁が築かれ、両者は一体の城館として利用されたと考えられています。
田子屋館は二本松城主畠山氏の家臣、遊佐丹波守・下総守父子の居城でしたが、天正十三年(1585)十月八日、畠山義継が粟ノ巣の変で討たれると、本宮、渋川、玉井らの兵は伊達政宗の攻撃に備えて二本松に引き退き、同年十一月、空になった田子屋館には八丁目城に居住していた伊達成実が入りました。
八丁目城南の出城となった田子屋館でしたが、同年十二月、家臣が誤って鉄砲の火薬箱に火を落とし城中は全焼。成実も右手に大火傷を負いました。翌年十四年一月、畠山家臣鹿子田右衛門佐が田子屋館を攻めるも遊佐佐藤右衛門が成実方として活躍。館跡にはのちに嫡子遊佐新右衛門が住したと伝えられます。
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国指定史跡 二本松城跡
田子屋館跡へのアクセス
- 〒969-1403 福島県二本松市渋川舘山
- 東北本線「安達駅」より車で9分
- 東北自動車道「二本松IC」より車で16分
- 県道147号線沿いに案内板があり、そこから登城可
桑原館跡へのアクセス
- 〒969-1403 福島県二本松市渋川桑原
- 東北本線「安達駅」より車で9分
- 東北自動車道「二本松IC」より車で16分
- 田子屋館跡の南東の丘陵がその範囲
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1981)『角川日本地名大辞典7 福島県』角川書店.
- 福島県教育委員会編(1988)『福島県の中世城館跡』福島県教育委員会.
- 庄司吉之助・小林清治・誉田宏 編(1993)『日本歴史地名体系7 福島県の地名』平凡社.
- 福島民報社編(2007)『武者たちの舞台 ふくしま紀行 城と館 上巻』福島民報社.