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寿安堰跡

仙台藩主伊達政宗家臣の後藤寿庵によって開削された胆沢地方南部の用水堰で、当地方の荒廃を見た寿庵が揚水を計画、小山村大違まで開通後、同志が引き継ぎ完成に至った。

寿安堰跡の来歴

寿安堰跡

胆沢川を水源として、穀倉胆沢平野を東西に流れる寿安堰は、胆沢町小山、南都田、若柳、水沢真城、姉体、古城、白山、前沢の各地域を潤しています。

この堰は、藩政時代、福原(水沢市)に居住していた伊達政宗の臣、後藤寿庵(安)によって開さくされました。

寿安堰が起工された年代及び範囲については、いまだ不詳ですが、おおよそ元和年間(1615~1624)といわれています。その後、寛永2年(1625)千田左馬父子や遠藤大学等によってうけつがれ、現在の寿安堰の基礎が築かれました。この堰跡(西北約1200m地点)は、当時のおもかげを残すもので寿安の足跡が偲ばれます。

※規模 上限幅14.10m、下限幅4.90m、開さく深8.60m

昭和61年6月 日 胆沢町教育委員会

『現地案内板』より

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寿安堰跡へのアクセス

  • 〒023-0403 岩手県奥州市胆沢若柳上堰袋
  • 東北自動車道「水沢IC」より車で23分
  • 東北自動車道「奥州スマートIC」より車で20分

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