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前沢城跡

胆沢郡が葛西氏の支配下になると三田氏、柏山氏らが居城したとされ、秀吉による奥羽仕置後は伊達家臣の大内定綱が入り、一帯を統治した。

前沢城址

母なる北上川を俯瞰し、父なる山束稲を仰ぐこの丘は、その昔長き歴史を綴る前沢城の趾である。鎌倉期の初めに三田将監この地に封されるや、本丸、二の丸を擁する中世の堅城を築き、下胆沢一万石の護りをここに固めた。胆沢の歴史はここを中心に華々しく展開したが、故あって三田氏滅び、六百年の城史を閉じている。徳川のはじめ大内定綱館を御沢に移してここをお物見台とし、三沢氏百八十年の治世中は陣場と称して、演武練兵の場となった。

いまここにたたずみ変転織りなす歴史を思うとき、一睡の感傷の中にも、お物見の丘こそ我が心のふるさとという感を深くする。

鈴木透 撰 宮地青紫 書

『前沢城趾碑 碑文 昭和五十五年四月二十七日 建立』

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御館跡

前沢城跡へのアクセス

  • 〒023-0000 岩手県奥州市前沢陣場
  • JR東北本線「前沢駅」より徒歩16分
  • 東北自動車道「平泉前沢IC」より車で6分

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