立子山
「竜子山」とも記される戦国期から見える地名で、天正十三年、伊達政宗の塩松進攻の際には、伊達成実が当地の野城に布陣し、大内定綱との戦端が開かれた。
ふくしま‐けん 【福島県】
東北地方最南端の県。明治元年(一八六八)に陸奥国から分かれた岩代国と磐城国の大部分にあたる。同四年の廃藩置県により、平(磐前)・二本松(福島)・若松の三県が成立。同九年合併して福島県となり、同一九年に東蒲原郡を新潟県に移管して現在の県域が定まる。県庁所在地は福島市。
『日本国語大辞典』
会津若松と日光今市とを結ぶ下野街道の宿場町で、天正十八年、小田原参陣のため伊達政宗が大地(大内)まで到着するも、故あって引き返し、別路で小田原に至った。
平安初期、法相宗の高僧徳一が開いた古刹で、会津仏教文化の中心をなすも、天正十七年、伊達氏の侵攻で兵火に遭い、政宗は三百貫文の地を寄付したという。
大壇越蘆名盛宗、大円禅師の開山と伝え、天正十七年、伊達政宗の会津侵攻の際には当寺を仮の居館とし、豊臣秀吉による太閤検地令も当寺で発令されたという。
会津に下向した蘆名直盛の築城とされ、黒川城または小高木城と称したが、天正十七年に政宗、翌十八年奥州仕置により氏郷が入部、黒川の地を若松と改めたという。