神指城跡
慶長三年、会津に封ぜられた上杉景勝が築城を計画、同五年二月より直江兼続を総奉行として着工するも、徳川家康の会津攻略、関ヶ原の戦いにより、ついには未完の城となった。
あいづわかまつ[あひづわかまつ] 【会津若松】
福島県北西部の地名。天正一八年(一五九〇)蒲生(がもう)氏入城により、若松と称す。のち松平氏二三万石の城下町となる。明治三二年(一八九九)市制。昭和三〇年(一九五五)若松から現在名に改称。
『日本国語大辞典』
大壇越蘆名盛宗、大円禅師の開山と伝え、天正十七年、伊達政宗の会津侵攻の際には当寺を仮の居館とし、豊臣秀吉による太閤検地令も当寺で発令されたという。
会津に下向した蘆名直盛の築城とされ、黒川城または小高木城と称したが、天正十七年に政宗、翌十八年奥州仕置により氏郷が入部、黒川の地を若松と改めたという。