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瑞雲山 興徳寺/市指定有形文化財 蒲生氏郷五輪塔

大壇越蘆名盛宗、大円禅師の開山と伝え、天正十七年、伊達政宗の会津侵攻の際には当寺を仮の居館とし、豊臣秀吉による太閤検地令も当寺で発令されたという。

瑞雲山 興徳寺の来歴

新編会津風土記 巻之十三

陸奥国若松之二

寺院

興徳寺〔境内東西一町二十二南北一町十三間半〕興徳寺前通ノ北端ニアリ、京師妙心寺末寺臨済宗ナリ、相伝フ 後宇多院弘安十年大円禅師ノ草創ナリ、禅師諱ハ覚円、字ハ鏡堂、西蜀ノ人ナリ、法ヲ天童環渓ニ嗣ク、乃六祖恵能ヨリ二十一代径山無準ノ孫ナリ、弘安二年相州鎌倉円覚寺ノ開山仏光禅師元ヨリ帰朝ノ時伴ヒ来リシニ、北条時宗カ計ヒトシテ同州禅興寺及建長寺等ニ住セシム、居コト幾モ無シテ移テ洛ノ建仁寺ニ住セリ、是所謂二十四派ノ一源ナリ、此地ニ来リシハ弘安十年ノ頃ト云、縁起ヲ按スルニ釈師初テ本郡ニ来リ、此地ニ紫雲ノ靉霴クヲ見テ佳瑞トシ、八町四方ノ地ヲ占テ即時ニ経営ヲ始メケルカ、不日ニ其功成テ山ヲ瑞雲ト号シ、寺ヲ興徳ト名クト云、東鑑ニ康元元年北条時頼遁世ノトキ葦名光盛及盛時・時連兄弟三人諸共ニ剃髪セシ事見ユ、是モト時頼ト親眤ナルニヨルトイヘトモ、光盛等モ亦深ク禅道ニ帰依セシトハ見エタリ、然ラハ此寺ヲ草創セシハ光盛カ孫盛宗ノ時ニテ、祖父ト同ク禅道ヲ信シコノ禅師ヲ請シテ当寺ヲ開カシメシニヤ、其後二十年ヲ経テ徳治元年九月二十六日禅師遷化セリ、遺偈アリ

甲子六十三無法与人説任運自去来天上只一月

即塔ヲ建テ霊光ト号ス、時ニ 勅有テ大円禅師ト謚ス、其後寿峯ト云僧其跡ヲ続テ当寺ニ住ス、是第二世トス、三世大圭カ時二至テ益荘厳ヲ加ヘ、凡叢林ノ宜ク有ヘキトコロ悉ク備ハレリ、又霊岩山円蔵寺〔河沼郡牛沢組柳津村〕・聖福山宝泉寺〔手明町〕・久昌山少林寺〔耶麻郡小田付組大沢村〕等ヤヤ其法流ヲ慕ヒ末山トナリシカハ、大圭ヲ以テ当山ノ中興トス、葦名氏亦深クコレニ帰依シ、世世別院ヲ立ルモノ二十四宇、各祖先ノ位牌ヲ安ス、多宝院・法界庵・正伝庵・福禄聚院〔旧事雑考永享四年ノ記ニ葦名修理大夫盛政ノ法号ニテ、其祠堂ナルヘシトアリ〕・持地庵・慶雲庵・瑞応庵・徳受院・謙亨庵・富陽庵・静香庵・常喜院・能満庵・宝聚庵・玆視庵・海蔵庵・福春庵・香南庵・鶴栖院・大慈院・徳雲庵・松源院・長徳院〔一宇ノ名ヲ失フ〕コレナリ、今ハ僅ニ瑞応庵ノミ残テ余ハミナ廃壊セリ、又当時多ク荘園ヲ寄附シ、本郡石村・宮内村・天屋村・香塩村・大豆田村・闇川村・小塩村、大沼郡小谷村・相川村・沢村〔今ハ詳ナラス〕、耶麻郡入田付村・熊倉村等ノ諸邑皆税ヲ納ル、其後応永二十三年当寺ヲ以テ天下ノ十刹ニ列シ、其名海内ニ震フ、同二十五年鎌倉諸山ヨリ贈ル所ノ疏アリ〔宝物ノ部ニ出ス〕、又其頃当寺ノ十境ト称セシハ、通津橋〔山門ノ前ニアリ、此丁ノ南頬士屋敷ノ内ニ橋柱残ルト云伝フ〕・円通道場〔即今ノ仏殿ナリ〕・洪音楼〔今ノ鐘楼ナリ〕・霊光塔〔開山堂ナリ〕・宗鏡堂〔今ノ法堂ナリ〕・福禄聚院〔此地今詳ナラス〕・龍華室〔方丈ナリ〕・万年松〔今猶方丈ノ前ニアリ〕・甘露泉〔万年末ノ側ニアリ〕是ナリ、其後百余年ヲヘテ三十二世速伝ニ至リ妙心派トナリシト云、天正己丑ノ乱ニ諸刹多クハ兵燹ニ罹リ、此寺独免ルル事ヲ得シトイヘトモ、伊達ノ兵士境内ヲ侵掠シ、堂舎ヲ破却シ僧徒ヲ追逐セシカハ、時ノ住僧心安コレヲ避テ河沼郡勝方村勝方寺ニ遁ル、ココニ於テ政宗当寺ヲ以テ仮ノ居館トシ諸ノ仕置ヲ定ム、翌十八年豊臣家下向ノ時モ又当寺ヲ以テ庁事トス、氏郷封ニ就クニ及テ、心安カ高行アルコトヲ聞キ迎テ再ヒ住持タラシメ禄二百石ヲ附セリ、当家封ニ就テ又二百石ヲ寄附ス、又三十六世逸伝カ時 勅シテ紫衣ヲ賜フ、 綸旨今ニ伝フ〔宝物ノ部ニ出ス〕

『新編会津風土記 第1巻』

瑞雲山 興徳寺へのアクセス

  • 〒965-0871 福島県会津若松市栄町2−12
  • JR東日本「会津若松駅」よりバスで「神明通り」下車、徒歩1分
  • JR只見線「七日町駅」よりバスで「野口英世青春館前」下車、徒歩3分
  • 磐越自動車道「会津若松IC」より車で12分

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