普門山 洞泉院の来歴
宮城県北西部、標高1,628㍍の栗駒山の麓に位置する緑豊かな田園のまち、栗原市。市内を流れる二迫川の最上流域に旧文字村(現栗原市栗駒文字)があり、鎮守愛宕神社の南には、茂庭綱元が伊達政宗と五男伊達宗綱の冥福を祈って開山したという普門山 洞泉院があります。
慶長九年(1604)政宗五男宗綱が岩ヶ崎(鶴丸)城主になると、綱元は後見として同地に居住。宗綱が病没すると高野山で三年に亘って菩提を弔い、寛永十三年(1636)政宗が没した後は文字村に隠棲して洞泉院を創建。自らは了庵と号し、同十七年、政宗の祥月命日である五月二十四日、九十二歳で没しました。
普門山 洞泉院へのアクセス
- 〒989-5361 宮城県栗原市栗駒文字愛宕下16
- 東北本線「石越駅」より車で39分
- 東北新幹線「くりこま高原駅」より車で35分
- 東北自動車道「築館IC」より車で33分
茂庭綱元の墓へのアクセス
- 〒989-5361 宮城県栗原市栗駒文字愛宕下
- 東北本線「石越駅」より車で39分
- 東北新幹線「くりこま高原駅」より車で35分
- 東北自動車道「築館IC」より車で33分