玉井城跡の来歴
福島県北部、安達郡西部に位置し、安達太良山南東斜面と本宮盆地の大部分からなる安達郡大玉村。村域南東部および西半部に、井戸から玉が出たことがその名の由来という旧玉井村(現大玉村玉井)があり、東流する安達太良川北岸の字「舘」には、中世大河内氏の居城であったという、玉井城跡があります。
玉井城は旧奥州・会津両街道の近くの水田中に構築された複郭の平城で、主郭は幅十八㍍程の堀と土塁によって仕切られ、北郭はコ字状の堀を巡らしてあり、付近には馬城谷地、南町の地名が残ります。圃場整備により遺構はほぼ無くなくなりましたが、字限図や航空写真によって往時の姿を窺い知ることができます。
天正十年(1582)田村清顕が高倉城に攻め入ると、太田主膳・弟采女が高倉加勢のため玉井城に入ったとされ、同十三年(1585)二本松を掩護すべく須賀川に入った常陸佐竹氏らが中村城を攻め落とすと、政宗は小浜城から岩角城へ進軍、玉井城には白石若狭を配置し、やがて人取橋の合戦が展開していくこととなります。
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本宮市
人取橋古戦場跡
玉井城跡へのアクセス
- 〒969-1302 福島県安達郡大玉村玉井舘
- 東北本線「本宮駅」より車で9分
- 東北自動車道「本宮IC」より車で8分