岩角城跡の来歴
福島県のほぼ中央に位置し、本宮盆地の南半と阿武隈山地の開析丘陵地帯からなる本宮市。中央を北流する阿武隈川の東岸に旧和田村(現本宮市和田)があり、村域北部の岩角山には、和田山 常光院 岩角寺とその境内及び奥の院を中心に築かれた中世の城館、岩角城があります。
比叡山延暦寺の直末寺である岩角寺は、全山が花崗岩の奇岩奇石で形成された岩角山の中腹にあり、仁寿元年(851)慈覚大師によって開山されました。全山に露出する巨岩には、形に即して「座禅石」や「船石」などと名前が付けられ、その岩肌には、江戸前期の西国三十三観世音菩薩や諸天善神などが刻まれています。
鎌倉時代以降衰退し、戦国末期には塩松領主石橋氏の一族が城として用い、同氏滅亡後は大内定綱の属城となったといいます。天正十三年(1585)伊達政宗の仙道制覇を阻んだため焼討ちされ、殆どの伽藍が焼失。同年の人取橋の戦いでは政宗が兵站基地として利用、岩角から本宮に陣を移して決戦に備えました。
岩角城はその後廃城となるも、元禄年間(1688-1704)二本松城主丹羽光重が岩角山に帰依し、当時の住職豪伝が興隆に努めた際、西国三十三観音を移して巨岩に像容を彫刻しました。また那須、磐梯、安達太良、吾妻連峰の眺望地としても優れた岩角山は、全山が県の名勝及び天然記念物に指定されています。
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本宮市
人取橋古戦場跡
岩角館跡へのアクセス
- 〒969-1205 福島県本宮市和田東屋口
- 東北本線「本宮駅」より車で13分
- 東北自動車道「二本松IC」より車で15分