町指定史跡 鮭延城跡の来歴
鮭延城址(真鶴城)
鮭延城は真鶴城とも呼ばれ、戦国時代に当地を領した近江源氏佐々木氏の城にて、佐々木綱村の時一族を率いて出羽に下り仙北の城主小野寺氏の客将となり関口の番城を預かって居住したが貞網の時代小野寺氏の南進拠点として真室郷に派遣され天文四年(1534)この地に城を築き、以来百年間要害無比の堅城であった。
この城は面積百ヘクタール西北方高さ約百メートル天正九年(1581)最上義光軍の攻城戦に当時十六才の城主秀綱が三月の合戦に数々の武功をあげ最上家の家老となり一万五千百五十石鮭延越前守源秀綱と号した。
元和八年(1622)最上家改易にともない、越前守秀綱は総州佐倉土井家に預けられ、翌元和九年、戸沢政盛が入城したが、交通不便と狭すぎると新生沼田に新城を築き寛水二年(1625)藩主以下の移住が行われた。
(社)新庄法人会 真室川支部
『現地案内板』より
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三弘山 正源寺
町指定史跡 鮭延城跡へのアクセス
- 〒999-5313 山形県最上郡真室川町内町
- JR奥羽本線「羽前豊里駅」より徒歩14分
- 東北中央自動車道「新庄真室川IC」より車で12分