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政宗の父輝宗の菩提寺で、境内には保春院の墓と三男宗清の供養塔が残る

仙台城下町のひとつで、城下の北辺を区切る台原だいのはら段丘の西半にあり、城下設定と同時に割り出された寺町、旧北山町(現青葉区北山ほか)。町域の東端、旧北材木町から北に延びる木町通の突き当たりに、政宗の父輝宗の菩提寺で、生母保春院の墓と三男宗清の供養塔が残る臨済宗京都妙心寺の末寺、遠山 覚範寺があります。

天正十三年(1585)輝宗が非業の最期を遂げると、翌年政宗は父の菩提のため置賜郡遠山とおやま村(現米沢市遠山町ほか)に一宇いちうを建てて覚範寺とし、虎哉を開山始祖としました。同十六年(1588)一月二五日、政宗は雪が降るなか覚範寺と光明寺を訪ね、同年一〇月八日、輝宗の忌日きにちには雨が降るなか参詣さんけいしたと伝わります。

同十九年(1591)政宗が岩出山に移ると虎哉も同道、玉造郡上野目村(現大崎市岩出山上野目)の天王寺を覚範寺として中興開山、輝宗の位牌を安置しました。慶長六年(1601)仙台に移り、愛宕山旧誓願寺の地に寺地を与えられるも、翌年小人こびと騒動により焼失したため、北山の現在地に移り広壮な伽藍がらんを建立しました。

元和九年(1623)政宗の生母保春院が逝去せいきょすると覚範寺に葬られ、政宗が墓標に宝篋印塔ほうきょういんとうを建立、のちに政宗は保春院の菩提のため少林山 保春院を造営しました。寛永十三年(1636)五月二十四日、江戸屋敷で逝去した政宗の遺体は覚範寺に安置され、中陰法要ちゅういんほうようが営まれる中、大願寺の地で葬儀が行われました。

降って寛政二年(1790)火災により一切を消失。翌年再建されるも、明治九年(1876)の山火事により類焼し仮堂のままでしたが、昭和十八年(1943)本堂が再建落成されました。しかし、同三十三年(1958)放火により再度焼失したため、昭和四十二年(1967)の本堂再建から順次、現在の不燃性建造物に改められました。

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遠山 覚範寺へのアクセス

  • 〒981-0931 宮城県仙台市青葉区北山1丁目12−7
  • 仙山線「北山駅」から徒歩で13分
  • 東北自動車道「仙台宮城IC」から車で13分
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kenc0224

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南奥羽の名所旧跡を悠々閑々と訪ね歩き、物見遊山に日を暮らす掃苔家で巡拝家、偶に登城家なブロガー。掻い撫での道楽なため歴史は苦手。大河は、独眼竜政宗、炎立つ、八重の桜(会津編)、真田丸がお気に入り。雨降りの日は籠居して、家紋の図案を物します。