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寿量山 長福寺

天正十八年(1590)四月五日に発生した伊達政宗毒殺未遂事件との深い因縁話が伝わる曹洞宗の寺院。

寿量山 長福寺の来歴

山形県南西端、置賜地方の西部に位置し、戦国期には伊達氏領内の越後口を抑える要衝であった西置賜郡小国町。町域の北東端、朝日連峰に端を発する荒川源流域に旧置賜郡五味沢村(現小国町五味沢)があり、南流する荒川の左岸には、伊達政宗毒殺未遂事件との深い因縁話が伝わる寺院、長福寺があります。

過去帳によれば、長福寺は文禄元年(1592)高岳寺六世の雲山祚緩大和尚の開山、開基は政宗異母弟である伊達(遠藤)宗寿で、政宗毒殺未遂事件の発覚後、政宗舎弟の九蔵は手討ちにされ、この一件に関与した宗寿は、小国の小俣村驚城山(轟館)に逃れ、六年後の慶長元年(1596)七月に没したといいます。

生前、伊達宗寿は野中某を妾として勝千代を生み、出家した勝千代は光岳寺五世に師事して太雲有山祚種と称し、長沢城ケ峯の山麓に長沢寺という一庵を結びました。その後、宗寿を開基、光岳寺六世の雲山祚緩を開山として長福寺が創建され、やがて太雲は名を祚門と改め、長福寺二世を継いだと伝わります。

長福寺 過去帳

当寺開基長福院量山宗寿居士、慶長元年七月逝去、当寺前住太雲有山祚種庵主、伊達政宗公ノ御舎弟伊達九蔵殿乳父遠藤次介宗寿者元来遠藤治部大輔能寿舎第有テ故当処配流当寺二代祚門和尚ノ親父也

慶長十九年八月二十八日開山祚緩和尚法弟祚門和尚先住邑長沢村ヨリ来ル

『小国町史』

小国往来 長福寺条

元長沢寺トイヽ伊達中納言政宗ノ違弟遠藤宗寿嘗テ輝宗ノ嗣子政宗ヲ殺シ後、九蔵ニ継カシメント謀リ事顕ワレテ小股村ニ逐ハル。宗寿後ニ野中氏ヲ妾トシ勝千代ヲ産ム、勝千代出家シテ太雲トイウ。五味沢長福寺ヲ開ケリ。寺宇ハ元長沢ニアリテ長沢寺トイハレタリ。今尚寺屋敷ト呼バレル処アリ

『小国町史』

轟館墟(小國轟村にありとも)

伊達中納言政宗の異母弟、遠藤宗壽の邸墟なり。宗壽曾て正宗を殺し、輝宗の後を九蔵に嗣しめんと謀り、事露顕して小股村に追出さる。宗壽後に野中某氏の叔母を妾とし、男勝千代を生む。勝千代後に出家して五味澤の長福寺を開く。大雲と號す。

『米澤地名選』

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寿量山 長福寺へのアクセス

  • 〒999-1452 山形県西置賜郡小国町五味沢774
  • 東北中央自動車道「米澤北IC」より車で1時間13分
  • JR米坂線「小国駅」より車で21分
  • JR米坂線「小国駅」より小国町営バス 北部線「五味沢」下車、徒歩3分

参考文献

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1981)『角川日本地名大辞典6 山形県』角川書店.
  • 長井政太郎編(1990)『日本歴史地名体系6 山形県の地名』平凡社.
  • 小国町史編集委員会編(1966)『小国町史』小国町.
  • 米沢古誌研究会編(1974)『米沢古誌類纂』米沢古誌研究会.
  • 大場貞一編(1977)『山形県の寺院(内陸版)』山形県寺院総覧編纂会.
  • 置賜日報社編(2001)『置賜のお寺めぐり 3市5町の330余ヵ寺総覧』置賜日報社.

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