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四本松城跡

伴次郎助兼が太田住吉山に築城して四本松城と称し、田原氏が現在地に移転、石塔、吉良、宇都宮、次いで石橋氏が居城としたが、大内定綱に滅ぼされ廃城となった。

四本松城跡の来歴

積達館基考

東安達郡之分 上

一上長折四本松城

里老伝曰、石橋修理大夫久義〔是は誤也、義久なり〕、祖父義平〔是も祖々父にて義衡也〕、父義仲〔是ハ祖父なり〕、三代の居城のよし〔是誤なり、石橋左近将監義衡始て文明の頃、爰に住す四代也〕、義久逝去の後、二歳の子息を四人の家臣に申付、守立へき遺言ありといへとも、小浜上館の城主大内備前守・石川弾正等心変りして田村へ降参し、殊に一戦に及ふ間、残る寺坂三河守・大場美濃守両人忠臣の心を変せす、二歳の子息を兎角して相馬へ伴ひ立退候と云々、最初ハ此所に石橋家下向し暫く住し、後は上太田村住吉山へ城を築かれたるか、石橋家落去の以後は、大内備前守か抱となれるなり、

『岩代町史 第2巻(資料編1 原始・古代・中世・近世)』

四本松城跡へのアクセス

  • 〒964-0311 福島県二本松市長折四本松
  • JR東北本線「二本松駅」よりバスで「前石田」下車、徒歩40分
  • 東北自動車道「二本松IC」より車で19分

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