「仙台市史 資料編(10〜13)伊達政宗文書(1〜4)」および「市史せんだい」収録の補遺、「仙台市博物館調査研究報告」収録の新補遺の中に含まれるすべての「火中文言」をまとめました。
令和5年(2023)12月時点で、即火中などの「火中文言」が含まれる総数は33通、宛先別だと上位から白石宗実・片倉景綱が5通、茂庭綱元・中島宗求が4通、伊達成実が2通で、そのほか泉田重光・伊達実元・大内定綱などがそれぞれ1通ずつ収録、年代別だと大半が天正年間で、年代未詳が7通あります。
か‐ちゅう[クヮ‥] 【火中】
〔名〕
(2)(─する)火の中に入れて灰にすること。古く手紙の末に、読後、焼却を求めて「火中」「火中火中」などと書くことがある。
*俳諧・千宜理記〔1675〕三「文ならぬいろはもかきて火中哉〈芭蕉〉」
*雑俳・松の雨〔1750か〕「御覧の上火中も共にひらはれて」
*歌舞伎・隅田川花御所染〔1814〕五立「委細は詳しく認めた一通、内見の上、必ず火中いたしてよからう」
*金色夜叉〔1897~98〕〈尾崎紅葉〉続・六「貫一は例に因りて封のまま火中してけり」
『日本国語大辞典』
かちゅう‐どめ[クヮチュウ‥] 【火中止】
〔名〕
読まれた後は焼却を求めて、末尾に「火中」と記すこと。また、その密書の類。
*雑俳・二柱〔1743頃〕「火中どめ・いよいよ今宵くいなさま」
『日本国語大辞典』
宛先別
白石宗実×5通
- 【23】年月日未詳(天正十三年閏八月二十九日ヵ) 白石右衛門宛書状
「彼文火中、世上へひろまり候へハ、各きうふも候へく候や」 - 【140】(天正十五年)十月十二日付 白石右衛門宛書状
「今般愚身上、只々鳶梟ニ無紛候、併右之存分之外無之候、彼書中堅々々々火中、返々」 - 【247】(天正十六年)四月十八日付 白石右衛門宛書状
「追而、其元ヘ者、幾度自筆ニ而遣之候条、いらぬ文をハ、即火中任入候、以上」 - 【431】(天正十七年)五月廿一日付 白石右衛門宛書状
「追而、普請彼此何共無手透候条、誠々々々散々ニ彼書調候、落字も余多、文言可為前後候、則火中、以上」 - 【433】(天正十七年)五月廿四日付 白石右衛門宛書状
「返々、夜中与云、取紛与云、中〳〵散々ニ一書相調候、即火中、以上」
片倉景綱×5通
- 【232】(天正十六年)三月廿八日付 片倉小十郎宛書状
「夕へわかきものとうておしを候て、かゝるたひなく事を、としはへニもにあハす候事、そのミもはもし〳〵、すなわち火中」 - 【369】(天正十七年)正月廿四日付 片倉小十郎宛書状
「この文わすれ候ハて火中、かたく〳〵」 - 【1778】年月日未詳(慶長五〜六年ヵ) 片倉備中守景綱宛消息
「返々、むしけさん〳〵之事にて候間、何ともいて候事ならす候、此よしねん頃ニ与一左申談候て可申候〳〵、此書火中、かしく」 - 【補255】(天正十六年)三月廿八日付 片倉小十郎景綱宛書状(【232】号文書の原本)
「夕へわかきものともと候て、うておしを候て、何ともてがふるひ候て、やう〳〵此文かき候、かゝるたひなし事を、としはへニもにあハす候事、そのミもはもし〳〵、すなわち火中」 - 【補262】(天正十七年)正月廿四日付 片倉小十郎景綱宛書状(【369】号文書の原本)
「この文わすれ候ハて、火中、かたく〳〵」
鬼庭(茂庭)綱元×4通
- 【363】(天正十七年)正月十二日付 鬼庭石見守宛書状
「追而、此文いそき候てかき候間、なか〳〵さん〳〵よミかたく候へく候、則火中、以上」 - 【618】(天正十九年)二月十六日付 鬼庭石見守宛書状
「十五日まてハ、何事なきよし、きゝおよひ候、此文とりこミゆへ、さん〳〵ニかき候、則火中、以上」 - 【1843】年月未詳(慶長十年代ヵ)廿一日付 茂庭石見守綱元宛消息
「今日者少隙入候間、文にて申候、此書火中可仕候、かしく」 - 【補391】年月日未詳(文禄三年〜元和四年ヵ) 茂庭石見守綱元宛消息
「人にもいだし候へく候、きつかひなくうけとり候へく候、かしく、文とも火中」
中島宗求×4通
- 【193】(天正十六年)二月十五日付 中島伊勢守宛書状
「こま筋・ミの筋、其いり〳〵へも、兼日之心得、肝心ニ候、彼文火中」 - 【874】年月日未詳(天正十九年末ヵ) 中島伊勢守宛消息
「返々人のあつかいニ、ふしき成事もなき物にて候、此書中、火中、かしく」 - 【897】年月日未詳(天正年間ヵ) 某宛書状(中島伊勢守宗求宛ヵ)
「このたひの義ハ、人もしれす候間、返々先ゆるし候へく候、さうへつの事にて候、此文、火中〳〵」 - 【898】年月日未詳(天正年間頃ヵ) 某宛消息(中島伊勢守宗求宛ヵ)
「尚々ゆたん候ハて、すきまをかそへ候へく候、此書火中、かしく」
伊達成実×2通
- 【108】(天正十五年)五月九日付 伊達五郎宛書状
「以前ヨリ無腹蔵互申承事ニ候間、如此ニ候、彼書中、則火中、返々」 - 【368】(天正十七年)正月廿四日付 伊達五郎宛書状
「追而、折節少病気之間、文言其外可為不調法候、則火中、以上」
泉田重光×1通
- 【1】(天正十二年)卯月三日付 泉田中務大輔宛書状
「追啓、肴両種送給候、喜悦之至候、自是も、任見来ニ、下ふくろ遣之候、誠以手首尾訖ニ候、兼又彼書中自筆にて、散々候間、火中」
伊達実元×1通
- 【80】(天正十四年)九月廿五日付 伊達栖安斎宛書状
「不存隔意申事ニ候、彼書札、有火中、可預之候」
青木新太郎×1通
- 【331】天正十六年十月十四日付 青木新太郎宛消息
「其方ならてハ、かやうニむかうニふミをも、いかて〳〵進へく候や、即火中〳〵」
石母田景頼×1通
- 【358】年月日未詳(天正十六年ヵ) 石母田左衛門宛消息
「世間珍敷事も候者、以自筆為知可申候、可心安候、此書中、必々火中〳〵」
大内定綱×1通
- 【391】年月日未詳(天正十七年三月十日頃ヵ) 大内廉也斎宛書状
「岩之底意、見届条、彼是別而用所候間、一両日中滞留可然候、彼書火中〳〵」
富沢貞連×1通
- 【723】(天正十八年)七月七日付 富沢日向守宛書状写
「不存隔心候条、及自筆候、即火中〳〵、以上」
か太(片平大和守親綱ヵ)×1通
- 【883】(天正末年頃ヵ)二月廿六日付 か太宛書状
「追而、隙指合候而彼早々ニ書候、即火中、又藤兵衛此方へ明日越候へく候、何事も明日自是可相理候、以上」
守屋意成ほか二名×1通
- 【952】(文禄二年)閏九月十一日付 守屋守柏斎ほか二名宛書状
「急度之間、落字共候、則火中」
柳生宗矩×1通
- 【1505】(慶長十九年)五月四日付 柳生又右衛門宗矩宛書状案
「一三大臣ハ爰元ニ御座候処、右大臣様御不審ニ存候、一笑々々、刻(則ヵ)火中」
稲葉正成×1通
- 【2549】(寛永二年ヵ)九月十日付 稲葉内匠頭正成宛書状
「大炊殿・雅楽殿へ、能々御申合、御油断有間敷候、此書火中」
高屋宗三×1通
- 【3866】(元和末頃〜寛永年間ヵ)十九日付 高屋松庵宗三宛消息
「此状火中、かしく」
某×2通
- 【879】年月日未詳(岩出山移転の頃ヵ) 某宛消息
「其方存ふん違候共、無二ニ身の事ハ、其身不便と思召候、用も候者、無隔意大細事共ニ、きかせ候へく候ハんも、文共火中〳〵」 - 【880】年月日未詳(天正十九年頃ヵ) 某宛消息
「尚々彼身之あやまりニ極候ハヽ、書中ニ者のせかたき心中ニ候間、万々直々可申候、以上、火中〳〵」
年代別
- 天正十二年(1584)×1通
【1】 - 天正十三年(1585)×1通
【23】 - 天正十四年(1586)×1通
【80】 - 天正十五年(1587)×2通
【108】【140】 - 天正十六年(1588)×6通
【193】【232】【247】【331】【358】【補255】 - 天正十七年(1589)×7通
【363】【368】【369】【391】【431】【433】【補262】 - 天正十八年(1590)×2通
【618】【723】 - 天正十九年(1591)×3通
【874】【879】【880】 - 文禄二年 (1593)×1通
【952】 - 慶長十九年(1614)×1通
【1505】 - 寛永二年 (1625)×1通
【2549】 - 年代未詳 ×7通
【883】【897】【898】【1778】【1843】【3866】【補391】
※伊達政宗文書2収録の【1078】伊達上野介政景宛書状にも「火中」が含まれますが、「火中」違いと思われるので除外しました。某宛の【897・898】は中島宗求宛でカウントしてあります。今のところ新補遺は該当なしです。
参考文献
- 仙台市史編さん委員会編(1994)『仙台市史 史料編10 伊達政宗文書1』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2003)『仙台市史 史料編11 伊達政宗文書2』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2005)『仙台市史 史料編12 伊達政宗文書3』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2007)『仙台市史 史料編13 伊達政宗文書4』仙台市.
- 小林清治(2008)『伊達政宗の研究』吉川弘文館.
- 仙台市博物館編(2017)『市史せんだい Vol.27』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2021)『市史せんだい Vol.30』仙台市博物館.