ローダーイメージ
Night Mode Night Mode
Day Mode Day Mode

伊達政宗文書に見える「洞(椌)文言」まとめ

仙台市史 資料編 伊達政宗文書1〜4および補遺・新補遺に収録される「洞(椌)文言」のまとめ。

「仙台市史 資料編(10〜13)伊達政宗文書(1〜4)」および「市史せんだい」収録の補遺、「仙台市博物館調査研究報告」収録の新補遺の中に含まれるすべての「洞(椌)文言」をまとめました。

令和6年(2024)3月時点で「洞(椌)文言」が含まれる総数は67通、家別だと田村洞×22、大崎洞×16、佐竹洞×6、最上、岩瀬、会津、岩城、相馬洞がそれぞれ×1ずつ、表記は洞×38、椌×29、仮名×9で、今のところ「宇・内方」のほか「屋裏」の使用例は見つけられませんでした。

※2024年3月26日 【129、887、3538】を追記しました。

資料集別

伊達政宗文書1

  • 【108】(天正十五年)五月九日付 伊達五郎宛書状
    「又南方小田原之様子、尤佐竹洞中之義、近日細申来候」
  • 【119】(天正十五年)六月晦日付 本庄越前守宛書状
    「先々数年御取乱、菟角椌中労煩令校量候」
  • 【120】(天正十五年)七月朔日付 後藤孫兵衛宛書状
    「先年二・塩敵ニ候砌者、洞中之衆、打続五六ヶ年警固被致候事も候」
  • 【129】(天正十五年)八月廿四日付 白石右衛門宛書状
    「仍自田先達熱内以来ニ橋刑来越之上、洞中唱、殊後室御存分共、雑談も候ける哉」
  • 【134】(天正十五年)九月十五日付 上杉景勝宛書状案
    「会之事彼口助成ニ付て、椌中機使候様ニ其聞候キ、珍儀候ハヽ、追て可申事候」
  • 【136】(天正十五年)拾月朔日付 新田美作守宛書状
    「今度於越後、会衆三百余人越度、因之、自彼椌中種々告来義共候」
  • 【140】(天正十五年)十月十二日付 白石右衛門宛書状
    「惣別洞之事ニ候得者、不足之上之抛不足候而も可取静儀候」
  • 【148】(天正十五年ヵ)十月廿八日付 宮城(留守政景ヵ)宛書状写
    「来礼祝着ニ候、仍田洞中之儀、無其聞候欤、先以静謐ニ候」
  • 【150】(天正十五年)霜月四日付 宮沢左衛門宛書状
    「不計下向之事も可有之候、其刻尤可罷出候、大崎椌中弥静謐候哉、其元境之事候間」
  • 【151】(天正十五年)霜月八日付 田村月斎・田村梅雪斎宛書状
    「来章具披見、快然之至候、仍其椌境中之儀、先立如申理候」
  • 【160】(天正十五年)霜月廿九日付 白石右衛門宛書状
    「佐洞中至于今、尚事六ヶ敷様ニ其聞候」
  • 【164】(天正十五年)極月廿五日付 葛西晴信宛書状
    「然者太崎椌中取乱之由其聞候、無是非次第候、乍勿論、彼口御取刷之義」
  • 【165】(天正十五年)極月廿五日付 赤井備中守宛書状
    「然者太崎椌中取乱之由告来候、乍勿論、彼口へ自其元取刷之義、何篇当方江被及逼塞候様ニ□廻」
  • 【178】(天正十六年)正月廿三日付 留守雪斎宛書状
    「太洞之無為、従山形被取扱候由、此方へも其聞候」
  • 【181】(天正十六年)正月廿九日付 田村月際宛書状
    「当口諸境如何ニも静ニ候、随而大洞中取乱、就之氏家方当方無二ニ相憑候」
  • 【190】(天正十六年)二月十日付 鬼庭石見守宛書状
    「近年黒へ違目も別而無之候間、無其義候処ニ、此たひ大うつろ中ちよと大〳〵候へく候ニ」
  • 【213】(天正十六年)三月六日付 白石右衛門宛書状
    「田洞中風波不相立様ニと令念願候条、諸事塩味共候」
  • 【223】(天正十六年)三月十三日付 遠藤出羽守宛書状写
    「佐竹洞中悉取糺候、然間仙道口無異議候、万吉期来音候」
  • 【244】(天正十六年)四月十五日付 遠藤出羽守宛書状
    「一佐竹洞中、于今専取乱之由候、従小田原、佐口へ出馬之由、告来候、実儀如何候、一田村洞中、近来尚々各当へ入魂之事、彼是可心安候」
  • 【245】(天正十六年)四月十五日付 長江播磨守宛朱印書出
    「一大洞中ニ、当方可被相憑族候者、所領之義、望次第ニ可有之事」
  • 【参考9】桑折播磨守宛書状取意文
    「(天正十六年五月廿五日)◯廿六日戊辰、(中略)義胤ハ百目木ニ在馬ノ由ナリ、田村洞中不慮ノ義計リ難ク思サル」
  • 【265】(天正十六年五月)廿六日付 白石右衛門宛書状
    「田へ被越候使者、帰候哉、月・形思安之通、其外彼洞中様躰、能々聞届度存候」
  • 【275】(天正十六年)潤五月十三日付 佐藤大隈守宛書状
    「田椌中之義、大越計心替、其外無残一統ニ清顕任筋目、当方へ一味之義ニ候間」
  • 【参考13】後藤孫兵衛宛書状取意文
    「(天正十六年閏五月)◯十六日戊辰、(中略)相馬方舟引ト云フ地ニ引籠ル、田村椌中一統ニ後室ヲ守リ、御当方へ一味相談セシム」
  • 【279】(天正十六年)潤五月廿日付 富沢日向守宛書状写
    「頃日相馬方、田村椌中乱入、因之、不計此口を出馬、先自相抱之地、号小手森、去十六拙子以見当責落、五百余人令撫切」
  • 【280】(天正十六年)潤五月廿一日付 色部修理大夫宛書状
    「去月十四大森之地江令出馬候、然処、相馬方彼石弾為合力、田村洞中へ出張」
  • 【参考33】葛西流斎宛書状取意文
    「(天正十六年七月)◯廿七日戊寅、(中略)田村洞中仕置等仰付ラルニ就テ、先以当宮森ニ在馬セラル、(中略)将又其許洞中近来ニ至テ様子其聞ヘナシ」
  • 【305】(天正十六年)七月廿九日付 片倉小十郎宛書状
    「さて〳〵四日まて、ふねひきへの事のひ候間、そのうち田村うつろ中ニ、よこめをもつけ候て、ふたんゆたん候ましく候」
  • 【309】(天正十六年)八月四日付 万休斎宛書状
    「就爰元在馬ニ、来礼太慶候、田椌中彼衆中相談之上、及仕置ニ候、漸相調候」
  • 【313】(天正十六年)八月五日付 橋下左馬助宛書状写
    「就爰元在馬、来礼大慶候、田椌中相談之上、及仕置申、漸相調候」
  • 【324】(天正十六年)菊月晦日付 大和田筑後守宛書状
    「来月上旬、此方へ打越可然候、次ニ田村洞、今日訖者、無異儀之由候」
  • 【325】(天正十六年)拾月二日付 葛西晴信宛書状
    「仍仙道表、其後無異儀候、可御心安候、其御椌中、近日弥静謐候哉、簡用候」
  • 【326】(天正十六年)拾月二日付 赤井備中守宛書状
    「仙道口、入馬以来如何にも静謐ニ候、可心安候、其椌中、近日無何事候哉、簡用候」
  • 【327】(天正十六年)十月五日付 石母田左衛門宛書状
    「本庄方悉被属手裏候由候、因之、最上洞中雑意専候」
  • 【332】(天正十六年)十月廿一日付 鵙目豊前守宛書状
    「幸便之間、用一行候、於近日、其椌中、無相替事候哉、殊ニ自最何等之取刷も有之候哉、無心元迄候」
  • 【333】(天正十六年)拾月廿二日付 伊達五郎宛書状
    「則可及回章ニ候処ニ、万々取籠故、無其儀候、仍安積筋・田洞中静謐之由、肝要候」
  • 【343】(天正十六年)霜月十四日付 片倉小十郎宛書状
    「早々其洞中へ可被引越義、肝要之至候、皮在所へ自然田洞、横合非分之取扱候者、当口へ明白ニ可承候、(中略)奥筋之義、無何事候、氏家一統・高清水一統・大洞中過半、改而懇切之義共候」
  • 【348】(天正十六年)霜月廿九日付 遠藤左近宛書状
    「彼仁可被物語候哉、尤於其身も諸事塩味之上、大椌中取刷之義、可為簡用候」
  • 【365】(天正十七年)正月十九日付 片倉小十郎宛書状
    「仍三春より其元へかへり候よし、そのきこへ候、田村うつろそののち無何事候や、いわのとなへ、いかように候や」
  • 【377】天正十七年二月廿一日付 岩城常隆宛覚書案
    「一岩瀬洞菟角ニ付而、御理之事」
  • 【379】(天正十七年)二月廿一日付 塩左馬助宛書状
    「惣和之上、南口会津椌中何も通信候、尤自是も如前々可為通用之由、令挨拶候キ」
  • 【397】(天正十七年三月頃ヵ) 大内廉也斎宛ヵ書状
    「其方前ニ相極候、次ニ栗出・鹿俣通路取出之義、此内相調度候、右ハ安積表へ出張、田洞中ニ凶事出来候而ハ、弓矢之指合可有之候条」
  • 【398】(天正十七年)三月廿六日付 亘理兵庫頭宛書状
    「追而染自筆候、岩城之事、于今御懇切ニ候、於時宜者、可被心安候、但彼洞衆中之以意見、諸事事澄候条」
  • 【414】(天正十七年)卯月廿六日付 最上義光宛書状
    「急用ニて廿二日当地迄着陣候、田洞中号神俣(鹿股)之地、一向少地之間、出張已前岩へ出城候」
  • 【469】(天正十七年ヵ)七月廿三日付 飯倉伯耆守宛ヵ書状
    「然ハ大椌中、於頃日自世間計策之由、其聞候、乍勿論、氏弾無油断刷候様、日州被及意見候ハん事、可為喜悦候」
  • 【541】(天正十七年)霜月六日付 遠藤出羽守宛書状
    「尤白川・石川之事、一味之義ニ候、此上佐・岩椌中ヨリ種々義共候条、尚以勝利可有之候」
  • 【543】(天正十七年)霜月七日付 宮沢左衛門尉宛書状
    「尤白川・石川一味之義ニ候間、尚以吉事出来可有之候、於備心安可存候、然者太崎椌中、近日無異義候哉」
  • 【570】(天正十七年)極月五日付 橋本刑部宛書状
    「隙明候事、誠ニ心安迄候、定而同前可有之候、併其椌中諸事境之取刷、畢竟旁々前ニ可有之候」
  • 【602】(天正十八年)正月十四日付 中島伊勢守宛書状
    「於相馬洞無正路存候事候而者、計策之為ニも不可然候」
  • 【621】(天正十八年)二月廿日付 宮沢左衛門尉宛書状
    「大崎椌中、於頃日兎角之躰ニ候欤、併無聊尓之刷尤候、子細候者、此方へ可及注進候」
  • 【661】(天正十八年) 某宛書状
    「サウヘツ人ノ大せツ、一トハ、カキリアル事ナレハ、クルシカラス候ニ、ウツロノミタレヲイタシカタノコトク、シツカナルウツロヲ、又々サンコマタラニ候ヘク候事」
  • 【685】(天正十八年初めヵ) 某宛書状
    「彼武茂方之事、於佐洞中不安族之人ニ候得共、其方証人易、何共難黙止候条」
  • 【855】(天正十九年)七月廿八日付 施薬院遊慶宛書状
    「仰去月十四日在所ヲ打出、大崎洞へ令着陣、同廿四日号宮崎地へ及調儀」
  • 【887】(年代未詳)九月廿五日付 某宛書状写
    然者是境中無旨(異ヵ)義候上、為使者申越候キ、于今彼者無帰路候

伊達政宗文書2

  • 【1139】(慶長六年)五月十八日付 片倉備中守景綱宛書状
    「すなハちせいはい候へく候、まちす候ハヽ、待候事をんミつ候へく候、かさねてゆたん候て、うつろ中へ参ためにて候へハ、其心へ候へく候」
  • 【1157】(慶長六年)八月十三日付 南部信濃守利直宛書状
    「急度申入候、御当洞中一揆少々蜂起之由、乍伝説、無御心元候」
  • 【1299】(慶長十五年ヵ)卯月六日付 茂庭石見守綱元宛書状
    「此たび之よきついてにて[  ]ところをきぶくはらい候へく候、必々うつろ中ニおき[    ]、知行をば、まつ〳〵とうざ[  ]たれにても代官申付へく候」

伊達政宗文書3

  • なし

伊達政宗文書4

  • 【3538】(天正十五年)八月廿一日付 薬王寺宛書状
    「内々御馳走可為尤候、次ニ当椌中南北共ニ追日静謐候、可御心安候」
  • 【3540】(天正十五年)九月七日付 遠藤左近高宗ヵ宛書状
    「然者、大崎椌中ニ少々取乱之由候、重[  ]布儀候者、急速注進待入候、其元之義、大□洞中江入組候由、及聞候」
  • 【3552】(天正十六年ヵ八月)中秋十六日付 氏家弾正忠吉継宛書状
    「併義隆山形へ被打越之由候、依之定而其椌中、俄之事可有候欤」
  • 【3554】(天正十七年)二月十日付 葛西晴信宛書状
    「追而令啓之候、仰於今春、其椌中弥御静謐候哉、肝要之事、当備も追々諸口任存分候」

市史せんだい

  • 【補95】(天正十五年)霜月八日付 田村月斎顕頼・田村梅雪斎顕基宛書状
    「来章具披見、快然之至候、仍、其椌境中之儀、先立如申理候」(【151】号文書の原本)
  • 【補99】(天正十六年ヵ)九月廿日付 天童甲斐守頼澄宛書状写
    「珍敷子細も候者、可承候、何様、年月ニ替、彼洞中六ケ敷様ニ其聞候」
  • 【補257】(天正十六年)七月廿九日付 片倉小十郎景綱宛書状
    「さて〳〵四日まて、ふねひきへの事のひ候間、そのうち田むらうつろ中ニ、よこめをもつけ候て、ふたんゆたん候ましく候」(【305】号文書の原本)
  • 【補259】(天正十六年)霜月十四日付 片倉小十郎景綱宛書状
    「早々其洞中へ可被引越儀、肝要之至候、彼在所へ自然自田洞、横合非分之取扱候者、当口へ明白ニ可承候、(中略)奥筋之義、無何事候、氏家一統・高清水一統・大洞中過半、改而懇切之義共候」(【343】号文書の原本)
  • 【補261】(天正十七年)正月十九日付 片倉小十郎景綱宛書状
    「仍三春より其元へかへり候よし、そのきこへ候、田村うつろそのゝち無何事候や、いわのとなへ、いかやうニ候や」(【365】号文書の原本)
  • 【補293】(天正十六年ヵ)拾月四日付 流斎(葛西重俊)宛書状
    「然而仙道口[   ]属存分納馬候、定而可為御悦喜候哉、□近日其椌中□無異義候由簡用候」
  • 【補363】(天正十五年)十月廿八日付 宮城(留守政景ヵ)宛書状
    「来礼祝着ニ存候、仍田洞中之義、無其聞候歟、先以静謐ニ候」(【148】号文書の原本)

年代別

天正十五年(1587)×15通

  • 【108】【120】【129】【140】【148】【160】【3540】【補363】

  • 【119】【134】【136】【150】【151】【164】【165】【3538】【3540】【補95】

仮名

  • なし

天正十六年(1588)×30通

  • 【178】【181】【213】【223】【224】【245】【参考9】【265】【280】【参考33】【324】【327】【333】【343】【補99】【補259】

  • 【275】【参考13】【279】【309】【313】【325】【326】【332】【348】【3552】【補293】

仮名

  • 【190】【305】【補257】

天正十七年(1589)×12通

  • 【377】【397】【398】【414】

  • 【379】【469】【541】【543】【570】【3554】

仮名

  • 【365】【補261】

天正十八年(1590)×4通

  • 【602】【685】

  • 【621】

仮名

  • 【661】

天正十九年(1591)×1通

  • 【855】

  • なし

仮名

  • なし

慶長六年(1601)×2通

  • 【1157】

  • なし

仮名

  • 【1139】

慶長十五年(1610)×1通

  • なし

  • なし

仮名

  • 【1299】

家別

田村×22箇所

田洞中、田村洞中、田村洞、田洞、田椌中、田村椌中、田椌中彼衆中、田村うつろ中、田村うつろ、田むらうつろ中…など

  • 【148】【213】【224】【参考9】【280】【参考33】【324】【333】【343】【397】【414】【補259】【補363】

  • 【275】【参考13】【279】【309】【313】

仮名

  • 【305】【365】【補257】【補261】

大崎×16箇所

大崎洞中、太洞、大洞中、大崎洞、大□洞中、太崎椌中、大崎椌中、大椌中、大うつろ中…など

  • 【178】【181】【245】【343】【855】【3540】【補259】

  • 【150】【164】【165】【348】【469】【543】【621】【3540】

仮名

  • 【190】

佐竹×6箇所

佐竹洞中、佐洞中、佐・岩椌中…など

  • 【108】【160】【223】【224】【685】

  • 【541】

仮名

  • なし

最上×1箇所

  • 【327】

  • なし

仮名

  • なし

岩瀬×1箇所

岩瀬洞…など

  • 【377】

  • なし

仮名

  • なし

会津×1箇所

会津椌中…など

  • なし

  • 【379】

仮名

  • なし

岩城×1箇所

佐・岩椌中…など

  • なし

  • 【541】

仮名

  • なし

相馬×1箇所

相馬洞…など

  • 【602】

  • なし

仮名

  • なし

その他×25箇所

洞中之衆、洞之事、彼洞中、其許洞中、其洞中、彼洞衆中、御当洞中、椌中、彼椌中、椌境中、其御椌中、其椌中、其椌境中、ウツロ、うつろ中…など

  • 【120】【129】【140】【265】【参考33】【343】【398】【1157】【補99】【補259】

  • 【119】【134】【136】【151】【325】【326】【332】【570】【3538】【3552】【3554】【補95】【補293】

仮名

  • 【661】【1139】【1299】

参考文献

  • 仙台市史編さん委員会編(1994)『仙台市史 史料編10 伊達政宗文書1』仙台市.
  • 仙台市史編さん委員会編(2003)『仙台市史 史料編11 伊達政宗文書2』仙台市.
  • 仙台市史編さん委員会編(2005)『仙台市史 史料編12 伊達政宗文書3』仙台市.
  • 仙台市史編さん委員会編(2007)『仙台市史 史料編13 伊達政宗文書4』仙台市.
  • 仙台市博物館編(2013)『市史せんだい Vol.23』仙台市博物館.
  • 仙台市博物館編(2017)『市史せんだい Vol.27』仙台市博物館.
  • 仙台市博物館編(2021)『市史せんだい Vol.30』仙台市博物館.
  • 丸島和洋(2021)『列島の戦国史5 東日本の動乱と戦国大名の発展』吉川弘文館.
  • 泉田邦彦(2022)「戦国期岩城氏の領域支配構造と「洞」」,『福島史学研究』100, p23-41, 福島県史学会.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

書き出しに戻る
Close