「仙台市史 資料編(10〜13)伊達政宗文書(1〜4)」および「市史せんだい」収録の補遺、「仙台市博物館調査研究報告」収録の新補遺の中に含まれる「酒」に関する文言をまとめました。
令和6年12月時点で「酒」に関する文言が含まれる文書はおよそ148通(一部原本と写の重複あり)で、「竹葉」「酒興」「酒振」「酔中」「爛酔」「沈酔」「余酔」「酒肴」「諸白」「大柳」「奈良酒」「南都酒」「琉球酒」などの文言が見えます。
頻出する文言の意味
ちく‐よう‥エフ【竹葉】
〘名〙
『日本国語大辞典』
②酒の異称。
しゅ‐きょう【酒興】
〘名〙 酒を飲んで興ずること。酒の上での興。酒宴の座興。
『日本国語大辞典』
さか‐ぶり【酒振】
〘名〙 酒席でのふるまい。酒の飲みかた。さけぶり。ささぶり。
『日本国語大辞典』
すい‐ちゅう【酔中】
〘名〙 酒に酔っているあいだ。
『日本国語大辞典』
らん‐すい【爛酔・乱酔】
〘名〙 はなはだしく酒に酔うこと。泥酔すること。
『日本国語大辞典』
ちん‐すい【沈酔】
〘名〙
『日本国語大辞典』
①酒にひどく酔うこと。酔いつぶれること。酩酊。
よ‐すい【余酔】
〘名〙 酔いがまだ残っていること。醒めきっていない酔い。
『日本国語大辞典』
しゅ‐こう‥カウ【酒肴】
〘名〙 酒と肴さかな。また、その馳走。酒さかな。
『日本国語大辞典』
もろ‐はく【諸白】
〘名〙 よく精白した白米を用いた麹こうじと蒸米で醸かもした酒。白米と黒麹で醸した片白に対していう。諸白酒。
『日本国語大辞典』
なら‐ざけ【奈良酒】
〘名〙 奈良地方で産する清酒。古く南樽と呼ばれて京都方面に出荷され、特に興福寺大乗院末寺の菩提山寺醸造のものは菩提泉の名で有名であった。奈良九献。
『日本国語大辞典』
りゅうきゅう‐しゅ【琉球酒】
〔名〕琉球特産の蒸留酒。泡盛。
『日本国語大辞典』
柳酒(大柳)
柳の酒ともいわれた。室町時代初期から江戸時代にかけて京都産の名酒の代表格とたたえられ,〈松のさかや(酒屋)や梅つぼ(梅壺)の,柳の酒こそすぐれたれ〉(狂言《餅酒(もちさけ)》)と謡われた酒で,貴紳の贈答品としても珍重された。いわゆる〈すみざけ(清酒)〉の好例とみられ,値段も他の良質酒の2倍に近かった。たんに〈柳〉とだけ呼ばれることが多かったが,この名は醸造元の屋号でもあり,樽材に柳の木を用いたのにもよるらしい。名声のために文明年間(1469-87)には〈柳〉の名を盗用する業者も出現したので,屋号を〈大柳(おおやなぎ)(大柳酒屋)〉と称し,樽に六曜(六星)紋を付した。これが酒の銘柄のさきがけとなった。
『世界大百科事典』
伊達政宗文書1
- 【参考31】天正十六年七月十四日 片倉以休斎宛書状取意文
且又一昨夜志賀父子ニ料理ヲ賜リ、乱舞様々酒興アリ - 【304】天正十六年七月廿七日付 奥山下野守宛書状
内々自是相通度候処、態之専使、殊為音信、鉄放并竹葉・肴三種被相越之候、一段喜悦之至候、
※「竹葉」は酒の異名 - 【364】天正十七年正月十六日頃ヵ 片倉小十郎宛書状
一とびたかたより、ひはらをすぐニ、ねんしをこされ候、御しゆ・さかないろ〳〵の物こされ候、 - 【371】天正十七年中春二日付 秋保弹正忠宛書状
如来札、改年之吉兆、更不可有際限候、依之酒代被越候、喜悦之至候、
伊達政宗文書2
- 【1052】慶長五年六月八日付 道中法度黒印状
法度
一大さけたべましき事、 - 【1148】慶長六年六月廿六日付 牧野右兵衛・田副帯刀・岩村茂兵衛宛代物渡方重判状
慶長五年九月廿三日より同十二月廿二日まて、
一酒五千四百八拾四盃、此樽数九百十四、(中略)此代岩崎兵八所へ可相渡候、但今泉喜左衛門ニ酒之代也、仍如件、 - 【1193】慶長七年菊月廿六日付 大和田筑後守忠清宛掟書
掟
ー下々共ニ大酒堅停止之事、 - 【1263】慶長十二年四月朔日付 須江六郎右衛門・小島左馬丞宛黒印状
小人共法度之事
一惣別大さけ仕ましき事、 - 【1287】慶長十三年十月廿五日付 白石直義母宛判物
↓(袖追書)こゝらハされ事
いかい・名跡なりとも、ゝさま奉公によるへし、折節酔中、乍去此書慥者也、 - 【1293】慶長十五年正月十五日付 伝馬黒印状
伝馬壱疋、無異儀可相立候、白石より酒取寄候間、いく度も仙台へ此はんにて可申付候、 - 【1330】慶長十七年閏十月三日付 右京宛消息
(袖追書) 馬上にて御つかい候者、可辱候、さても〳〵給酔、何をか申候へく候、かしく、
(中略)書付申詩哥、散々沙汰之限り、はつかしく候へとも、爛酔にまかせ進候、かしく、 - 【1362】慶長十八年正月十一日付 柳生又右衛門宗矩宛書状案
一井伊掃部殿へ御酒被進候事
今朝者申承令満足候、仍而井伊掃部殿酒所望之由、 折節持給候諸白一樽并一色一樽進候、 - 【1394】慶長十八年ヵ暮春十一日付 竹腰山城守正信宛書状
昨日之御酒ニ、于今散々にて、書中如何申候哉、以上、 - 【1411】慶長十八年三月十四日付 延寿院曲直瀬玄朔正紹宛書状案
夜前之為御礼書状忝候、緩々与御座候而本望至極候、御酒をも能参候て是又忝候、 - 【1418】慶長十八年三月十八日付 青山石見守清長宛書状案
夜前之御礼早々可申入候処ニ、御酒故朝寝を仕、致延引候、殊今朝も御出之由、却而迷惑申候、 - 【1442】慶長十八年卯月廿二日付 倉橋内匠助政勝宛書状案
御亭主振ニ御酒参、御沈酔察入候、我等も殊之外給酔、漸々此方へ極晩ニ罷着候、 - 【1453】慶長十八年卯月廿六日付 延寿院曲直瀬玄朔正紹宛書状案
一延寿院江御酒御進上之事
御案文留
追而、諸白一樽、駿府ゟ之土産ニ進候、以上、 - 【1504】慶長十九年卯月廿九日付 溝口伯耆守宣勝宛書状案
尚々、先日預候御酒、御在所之与□候而、奇特ニ存候、以上、 - 【1588】慶長十九年十二月十四日付 山口駿河守直友宛書状案
寄思召御能(懇)書、殊ニ琉球酒壺一贈預候、 - 【1615】慶長二十年二月十八日付 道七宛書状案
追而、(中略)又屏風之事、酔中ニ無作とかき申候、先こゝもとへおさへ申候、何茂重而可申候、 - 【1619】慶長二十年二月廿五日付 倉光因幡守宛書状
昨日申上度存候へ共、一昨之御酒に終日平臥仕故、延引、致迷惑候、(中略)又一昨夜廿七与被成御意候共覚申候、爛酔之中然々覚無御坐候、 - 【1630】慶長二十年三月頃ヵ 倉光因幡守宛消息
被下酔候、いかゝ〳〵、
穐ならぬ、露のたもとを、世の人の、何とそとはゝ、いかゝこたへん
松 - 【1655】慶長二十年六月六日付 細川紹高全隆宛書状案
将軍様御機色、弥能御座候哉、今朝も客来御座候、御出候而可給候、御酒ハ神そ〳〵強申間敷候、 - 【1659】慶長二十年六月十一日付 倉光因幡守宛書状
爛酔于今々々正躰無御坐候へ共、延引慮外之様に先言上仕候、 - 【1662】慶長二十年七月六日付 倉光因幡守宛書状
翌日以愚書も可申上処、余酔故罷過候、 - 【1696】天正二十年〜慶長五年頃ヵ 多賀出雲守秀種宛消息
昨日者あまりさひしく候て、半四・勝三・吉う・成左なとめしよせ、あさよりくるゝまて酒すこしつゝ給□□面白遊申候キ、そのまゝふし、唯今をきあかり申候、 - 【1718】慶長八年頃ヵ正月廿五日付 竹中丹後守重門宛書状
昨日者客来候而給酔、如何及御報候哉、此方御下向、別而御珍敷候、 - 【1754】慶長十年頃ヵ十月朔日付 茂庭石見守綱元宛消息
今日朔日、目出度候、柴田但馬昨日振舞付而、少さけ過候て、今日之礼来にあひ候事ならす候、むしけとも申候て、ミな〳〵申とゝめへく候、 - 【1765】慶長十二年頃ヵ臘月廿三日付 某宛書状
御盃とも被下候て、散々給酔候、書中見えかね可申候、かしく、 - 【1769】慶長六年頃〜慶長十二年頃ヵ五日付 本多上野介正純宛書状
尚々、此たゝき、比まゝハわるく御さ候、よき比にきり、さけをかけて御上候へく候、何も晩か明晩可罷出候、 - 【1777】慶長六年頃〜慶長十二年頃ヵ 石川玄蕃頭康長宛消息
藤堂ゟノ内々のことく日暮に可待入候、心ミに即給酔、如何申候や、かしく、 - 【1782】慶長十三年頃〜慶長十九年頃ヵ正月廿四日付 某宛書状
今日者路次も悪御座候間、明日ニても御尋可忝候、少給酔候間、早々申入候、 - 【1811】慶長十六年〜慶長十七年頃ヵ七月廿八日付 細川紹高全隆宛書状
乍去数度之爛酔に、慮外共定而可有御坐候、恕宥々、 - 【1817】慶長十二年か十五年ヵ九月十一日付 茂庭石見守綱元宛書状
(行間書)又彼さけつくり候もの、来年ハのほせへく候間、
細事之義に候へ共、申遣候、今度わかさゟさけつくりくたし候、さためてさしおき候所候ましく候、(中略)かの屋しきに此度のさけつくり、必々可指置候、 - 【1832】慶長十三年頃〜慶長十九年頃ヵ十二日付 茂庭石見守綱元宛消息
先度其身所にて、江南斎ニ、御酒のうへなから、屋敷やくそく候て、はやつかハし候、 - 【1866】慶長末年〜元和初期頃ヵ二月十三日付 向井将監忠勝宛書状
昨昏者、入思召候、御振舞御亭主ふり、書面に難得申候、殊外給酔、無正躰候キ、又明後十五朝必々御出可待入候、
伊達政宗文書3
- 【1900】元和二年七月十三日付 某宛書状
猶々、爰元御酒下り候て申越候へ者、十日ニ立候由、若狭所ゟ書状おそく届候哉、 - 【1910】元和二年極月三日付 鷹野之掟
陸奥守鷹野之掟
一朝食之上、酒こさかつきにて三盃、但、時にゟ五も、
一晩ニ者心次第、但、大酒停止々々、 - 【1917】元和三年卯月廿一日付 松平伊達美作守忠宗宛書状
総別御懇切之衆モ茶酒之上迄カト存候、加様之義無為御知事、各江殊外所存ニ存候、 - 【1932】元和三年七月廿四日付 進藤修理進長滋宛書状
万事辱候而、命をも不存被下酔、扨々御はつかしく奉存候、 - 【1956】元和三年十二月十三日頃ヵ おさ五宛消息写
さかつきのかす〳〵、我れも人もゑひのあまりに、いよ〳〵心いさみ、さら〳〵と申入まいらせ候、 - 【1961】元和四年ヵ正月廿三日付 藤堂和泉守高虎宛書状
扨々今日之御客ふり、何共可申様無之候、大炊殿も近年覚不申候、御酒参、ていしゆのありさま、何もおほえ不申候躰にて候、 - 【2032】元和四年ヵ霜月九日付 東昌寺虚白霊真ヵ宛書状
亭主も散々沈酔、可過御察候、何も期再会面而已、 - 【2034】元和四年極月廿四日付 茂庭石見守綱元入道了庵宛書状
為見廻遠路使者相下候、殊入念候奈良酒中樽四ツ并大栗百相下候、一段勝、則令賞味候、 - 【2056】元和五年八月六日付 松平島津薩摩守家久宛書状
今日者緩々与御坐候而忝存候、亭主迷給酔、御帰之砌者、御門送をも不申、致迷惑候、 - 【2076】元和五年ヵ九月廿日付 青木掃部丞・佐々若狭守元綱宛書状
一先度酒之上なから、善兵衛事申分機にかゝり、せつかん候、(中略)乍去酒之上ニ者、主之事をも自然者わきまへざる物ニ候間、不及是非候、 - 【2109】元和六年正月廿八日付 徳勝院宛書状案
不図奥遠御見物可立思召候、酒之事者成次第ニ可有御沙汰、不入仰分かと存事に候、おかしく候、 - 【2128】元和六年二月廿日付 伊丹喜之助康勝宛書状案
追而、亭主も散々給酔、御礼延引、致迷惑候、内々従是可申入処、御状添候、 - 【2159】元和六年三月廿三日付 田中筑後守忠政宛書状案
昨日者御出、緩々御咄候て、一人忝存候、即御礼可申入処、亭主散々給酔、御報ニ罷成、致迷惑候、 - 【2274】元和七年六月六日付 村川五左衛門・四郎兵衛宛免許状写
岩切新町免許之事
ーむ路役之事 一酒役之事 - 【2290】元和七年ヵ仲冬十三日付 毛利甲斐守秀元宛書状
今朝者御茶殊更御懇意共、可申伸様無之候、数盃以之外給酔、慮外之義、憚入存候、 - 【2342】元和八年九月三日付 石母田大膳亮宗頼ほか三名宛書状
何成共御用之義、 毛頭油断有間敷候、御酒之義者、仙台諸白も今時分悪成候、然間下々ニ被下候為候間、是又折々進可申候、上州・右近殿参候御酒者、此方ゟ相下事ニ候、 - 【2343】元和八年九月三日付 大条薩摩守実頼宛書状
上野殿へ態以使札申候、何ゟ御酒ニ御事かきとさつし候て、此度一段念を入候かみもろはく十たる、右近殿へも五たる進し申候、 - 【2345】元和八年九月九日付 石母田大膳亮宗頼ほか三名宛書状
最上へ人を遣被申付候由申候而、御酒肴成共進可申候、其上御逗留中、何ニ而も御用之義候者、可承之由、可申進候、 - 【2346】元和八年九月十二日付 茂庭周防守良綱宛書状
乍去御帰之時分も、御扶持方・御酒肴以下、御泊々へ、奉行人申付、可贈進候、 - 【2347】元和八年九月十二日付 山岡志摩守重長・片倉小十郎重綱宛書状
上野殿・右近殿御帰之時茂、縦無御請候共、御泊々御扶持方・御酒肴之類、各以相談仙台ゟ可申付候、 - 【2370】元和九年二月十八日付 永井信濃守尚政宛書状案
御上洛之御日限承届、可罷上候、然ハ在所之御酒大柳二・子籠之鮭十進候、 - 【2378】元和九年二月廿四日付 松平伊達美作守忠宗宛書状
大炊殿為始、今度書状共遣申候、早々可相届候、御酒肴遣候所も候、万々豊前所へ伊藤左所ゟ可申候、其方へも爰元之諸白大柳二ツ遣申候、 - 【2379】元和九年二月廿四日付 井上主計頭正就宛書状案
追而、此鶴不慮ニ取申候間、進候、御賞味可被下候、次当所之酒両樽進候、一参候而、可忝候、 - 【2400】元和九年ヵ六月廿二日付 小堀遠江守政一宛書状
先刻者御出之由、昨日徳勝院所へ参、終日馳走共給酔候而、今日者平臥之躰ニ候間、当番之者共留守之由申候、 - 【2438】元和十年ヵ正月十七日付 土井大炊頭利勝宛書状
扨々今朝者能時分ニ御酒被下、一段与あたゝまり申候キ、御心付辱候〳〵、 - 【2527】寛永二年卯月廿一日付 生島宮内少輔秀盛宛書状
御所様於御上洛者、京都ニ而可得御意候、将又南都酒両樽并鶴一・子籠鮭十尺致進上候、 - 【2531】寛永二年ヵ孟夏廿六日付 柳生又右衛門宗矩宛書状
自之可申候処、余酔故成御報候、昨日者終日種々御馳走共、就中舞承候て、近年之慰と存候、何も面に可申候、 - 【2541】寛永二年ヵ七月十九日付 円福寺宛書状
昨日若狭所迄御出之由、却而致迷惑候、殊外給酔、終日平臥故、以書状も不申入、口惜存候、 - 【2545】寛永二年八月廿一日付 高屋快庵宗伯宛消息
十六日に、戸沢右京所ニ而酒事、又十八日ニ終日終夜酒宴候て、其故、又此中ちと血之狂心候哉、 - 【2546】寛永二年八月廿六日付 茂庭了庵綱元宛書状
追而、此方近所大炊殿御知行ニ付而、今度路次其外見事ニ為御作、又御酒肴種々御馳走共候、聞候而、是又可為満足候、 - 【2565】寛永二年十月十二日付 脇坂淡路守安元宛書状案
拙者儀、一両日以前、於 西丸御茶被下、其上 御自酌ニ而、御酒被下、無古今仕合共ニ御座候、何も御参府之砌、可申伸候、 - 【2600】寛永二年十月廿二日付 井上主計頭正就宛書状案
今朝御本丸之御侍衆申入、給酔、御礼延引、致迷惑候、 - 【2611】寛永二年十月廿五日付 松平伊達越前守忠宗宛書状
又今月十日、於 西丸御茶被下候時、 御自酌ニ而御酒被下、是以冥加至極之義共候、 - 【2613】寛永二年霜月二日付 牧野駿河守忠成宛書状案
御礼御無用与申候処、御状預候、却而致迷惑候、今朝者御酒を能参候而、忝存候、何も馳走不申、今少御残多候、 - 【2620】寛永二年霜月八日付 内藤伊賀守忠重宛書状案
子籠之塩引、当年之初ニ御座候間、乍少五本、将軍様へ致進上候、未熟申間敷候間、御膳ニ御上候者、子ハ酒を御かけ候而、御上可被成候、 - 【2640】寛永二年霜月十八日付 真福寺宛書状案
昨日者様々之御馳走、忝次第ニ候、殊外給酔、無正躰罷帰候、 - 【2658】寛永二年霜月廿八日付 京極若狭守忠高宛書状案
爰元為御見廻御使札、并両種、両樽之内古酒・新酒贈預、御懇意之段不浅令存候、 - 【2726】寛永二年極月廿日付 松平島津薩摩守家久宛書状案
先刻者御使札、数寄ニ罷出、不能即報、迷惑仕候、入御念候御文言、就中琉球酒一壺・御国之櫁柑一籠贈預、別面賞味仕事ニ候、 - 【2769】寛永三年三月廿七日付 村瀬左馬助重治宛書状案
先刻ハ御撚、昨日之余酔故、不及即報、致迷惑候、 - 【2807】寛永三年七月廿九日付 生島宮内少輔秀盛宛書状
今朝者、為御使者御出之由、昨日之余酔、其上少々虫気ニ付而、不遂会面、口惜存候、 - 【2811】寛永三年八月九日付 生島宮内少輔秀盛宛書状
明日之御用意、御掃地ニ取乱申之間、可然様ニ被仰上可預候、御酒之事、相心得存候、何様ニも御意次第之御事ニ候、 - 【参考76】寛永三年十月十九日付 岡部内膳正長盛宛書状取意文
◯岡部内膳正殿ヨリ使札ヲ以テ、鴨五・鯉五・諸白大柳二樽・手作ノ新酒二樽進上アリ、因テ是マテノ御音信仰尽サレ難キ由、御返上アリ、 - 【2848】寛永四年四月廿一日付 西洞院右衛門督時直宛書状
日本之神そ、失念仕候、其上酔中如何様之儀申候哉も覚不申候、可被成御免候、万事期幸便候、 - 【2865】慶長二十年か元和二年頃ヵ正月九日付 只野作十郎勝吉宛ヵ消息
扱々先夜御しゆ(酒)のうへニ、又候や、何を申候や、めひわく千万かぎりなく候、(中略)とかくも不申候が、さけ(酒)のうへニ何と申候や、夢いさゝかもおほへ不申候、(中略)かたきうへにも貴さま御心中かたくいたし度存候て、さけ(酒)ミたれのうへに申たる物にて候へく候、さけ(酒)のうへなから我等申を御きゝ候て、うらみニおほしめし、(中略)わかき時ハさけのさかなにも、うでをさき、もゝをつき、 - 【2872】元和二年頃〜元和七年頃ヵ二月八日付 只野作十郎勝吉宛書状
扨々昨日者、種々様々に慰申候て、近年之遊山□ 存候、殊外酔申候て、于今頭あかり不申候、 - 【2895】元和二年頃〜元和七年頃ヵ廿八日付 只野作十郎勝吉宛消息
りんちやうけ之由、いかゝ、それもさけゆへにて候、何も面に可申候、かしく、 - 【2899】元和二年頃〜元和七年頃ヵ 東昌寺虚白霊真ヵ宛書状
日之昨、振舞ニ参候而、余酔候故、如何申候哉、御はつしや、かしく、 - 【2915】寛永四年か同六年ヵ季夏九日付 松平伊達越前守忠宗宛書状
弥万事意見引廻頼申候、酒過候ハぬやうに身之申と、此書御ミせ有へく候、 - 【2916】元和八年か同九年ヵ七月二日付 松平左近大夫康政宛書状
今日之客ニ、亭主散々給酔、正躰無御座候間、御礼之義、恕宥々々、 - 【2930】元和末年頃ヵ極月廿日付 高屋松庵宗三宛書状
極月廿日 政宗(花押・黒印28)
酒の故、時之興と↑
松庵 為疑、此
印をつく也、 - 【2934】元和八年頃〜寛永四年頃ヵ廿九日付 中島監物貞成宛消息
夜前酔中ニ、如何申付候キや、百々清吉いもとの事、漸扶助も仕かね候由にて候、 - 【2941】元和二年頃〜同八年頃ヵ中秋廿四日付 細川内記忠利宛書状写
昨日者御花辱候、就中御心尋ニ御酒被下候義、殊ニ忝相頂き、中々不得申候、昨日にも御礼書状にても可申入候へ共、可為御沈酔と延引仕候、
伊達政宗文書4
- 【2975】寛永五年三月十三日付 鳥居左京亮忠政宛書状案
今朝預御状候得共、昨日 御前ニ而数盃被下、殊外給酔、平臥故、御報延引仕候、 - 【2986】寛永五年三月廿四日付 内藤外記正重宛書状案
一昨日我等桟敷、主計殿・信濃殿御出候而、御酒ヲも参、御懇之義共、諸人之見所与申、大慶忝存候、 - 【2987】寛永五年三月廿四日付 松平島津薩摩守家久宛書状案
御撚忝候、昨日者不図参候所、色々御馳走忝候、殊外給酔罷帰候、 - 【3020】寛永五年六月七日付 天野図書正成宛書状案
昨夕者、種々様々入念、珍敷振舞、難忘存候、大盃数度廻、沈酔、至今朝ニ、無正躰候、 - 【3034】寛永五年七月四日付 藤堂和泉守高虎宛書状
(袖追書)尚々、はしかき御自筆にて、ーしほ忝候、御酒もつよく候とあそはし候、ものじの(行間書)てには、かつてん不申候、我等もはやよきほとのとしニ候へハ、さけハいまたかたのことく被下候へ共、ものじハなりかね申候、おかしく候〳〵〳〵、
先刻者、御使札并入御念候両樽新酒古酒贈預候、別而賞味可仕候、如仰、昨日者大学殿と咄申候而、大慶ニ存候、御酒之事、よき比に進申候、一段とさかふり(酒振)も何も能御入候、 - 【3040】寛永五年ヵ七月廿八日付 藤堂和泉守高虎宛書状
(袖追書)尚々、さけハ二色にて候、仍而、下屋敷ニ池を仕候、(行間書)さむく成不申候前ニ、一タ申入度候、
其後者御床敷候、仍面、此両樽、近日南都ゟ参候、何も新酒にて候、 - 【3055】寛永五年九月十一日付 柳生又右衛門宗矩宛書状案
昨夕者御残多候、跡ニ而、大酒可有御推量候、 以上 - 【3074】寛永五年ヵ十月廿七日付 内藤外記正重宛ヵ書状
扨々色々御亭主ふり、をや子三人共ニ、千万忝存候由、能々御礼之義頼申候〳〵、坐敷いつ〳〵ゟしみ申候て、給酔申候、 - 【3105】寛永六年二月仲春十九日付 覚範寺清岳宗拙宛書状
一昨日者、終日終夜遊興共、近年之慰難忘候、為礼義、昨宵御越之由、却而御隔心与存候、于今余酔、不能細筆候、 - 【3152】寛永七年ヵ二月廿五日付 春日局宛消息
尚々、くにのさけのよし、ちとなから、まいらせ候、御しやうくハん候へく候、 - 【3172】寛永七年十一月ヵ十三日付 馬場出雲守親成宛消息
一国にて米三百両分かい度由、是者来年依躰可申付由可申候事、銀子二百枚之事、御酒之上なとに口すさひニ申候事も候つるや、しかと不覚候、 - 【3268】寛永十年ヵ五月十六日付 東昌寺虚白円真宛書状
抹茶一棗進候、又御酒者、御手作之名酒之由、及承候、乍去是又一樽指添申候、 - 【3271】寛永十年六月十六日付 榧森又右衛門宛黒印状
酒三升、治部大輔奥方へ毎月可遣候、但、柴田勝兵衛・佐瀬所左衛門ニ可相渡者也、仍如件、
寬永十年
六月十六日(黒印)
御酒屋 - 【3313】寛永十一年閏七月八日付 西池主膳正宛書状
追而啓上、一昨給酔、卒爾ニ秘方之事、御侘申上候処、早速如此之仕合、中々之御事ニ候、以上 - 【3315】寛永十一年中秋二日付 西洞院宰相時直宛書状
追而、一樽進呈候、自慢之酒にて候、一笑〳〵、以上、 - 【3346】寛永十二年ヵ暮春十一日付 松平池田新太郎光政宛書状
自之可申候へ共、夜前之余酔、成御報申候、 - 【3375】寛永十三年二月十二日付 石母田大膳亮宗頼宛黒印状
書出
ー下々振舞、一汁三菜御酒三返之事、 - 【3441】年代未詳八月二日付 土井大炊頭利勝宛書状
仍而、比樽、一ツハ先日参候古酒にて御坐候、一ハ近日上方ゟ参候新酒、一段被下能覚申候間、進申候、ーツ可参候、 - 【3448】寛永五年か同七年ヵ季秋五日付 某宛書状
此一色、在所ゟ任到来進候、昨夕者、御酒も能参候て、満足仕候、かしく、 - 【3451】寛永五年か同七年ヵ九月十一日付 某宛書状
昨夕、さる所にて、大さけ給候て、御返事おそく申候、かしく、 - 【3467】寛永七年か同九年ヵ霜ノ初三付 伊達越前守忠宗宛書状
志之義ニ候間、留置申候、亭主ふりニ沈酔察申候、身之事、可有推量候、 - 【3520】寛永年間ヵ 亘理右近太輔宗根・奥山大学助常良宛定覚書
定書
一常ニ与所ゟ参候書状、たとへ奥かたニおり候共、則ニ進上可申候事、付しぜん御酒之時、ゑい御文箱へ可入置事、 - 【3648】慶長十五年ヵ八ノ二日付 古田織部正重然宛書状写ヵ
きのふも可申処ニ余給酔、至臥身候、怒宥々々、何事も貴面に申候、 - 【3690】年代未詳廿日付 御たけ宛消息
いまた朝ノさけもさめ候ハぬに、数々給候て、御まへにて何事をか申上候や、努々おほえも御さなく候、 - 【3691】年代未詳廿日付 上郡山右衛門尉常為宛消息
あまりにこしやうどもすくなく候て、客来などのとき、さけのあいてにもなり候ものこれ無く候間、よく候はねど、昨日の子どもじゝう所よりもらい候、 - 【3696】元和二年正月一日付 諸白屋又五郎榧森又右衛門宛黒印状
一月ニ御しゆ壱斗五升つゝ御わたし候へく候、 - 【3697】元和二年十月十四日付 諸白屋又五郎榧森又右衛門宛黒印状
酒壱斗五升つゝ、毎月、宮内因幡所へ可相渡候、但、喝喰丸つかい用也、仍如件、 - 【3698】元和三年二月廿八日付 柳生又右衛門宗矩宛書状
追啓、此方罷立候砌、御茶被下、種々御亭主ぶり、于今難忘存候、散々〳〵被下酔、御はつかしく候、以上、 - 【3705】元和五年三月九日付 諸白屋又五郎榧森又右衛門宛黒印状
上之丸之御酒、壱月付は、壱斗五升つゝ御上候へく候、 - 【3706】元和五年六月朔日付 馬場蔵人主親成・渡辺助左衛門一綱宛黒印状
米三百石諸白又五郎ニ可相渡候、但、来年之御酒共当年ゟ支度之為ニ候、 - 【3717】元和九年三月七日付 諸白屋又五郎榧森又右衛門宛黒印状
月なみのうけとり御しゆ
(中略)
一御かつしき様御やしきへ、一月ニ仁斗四升つゝ、
このとをりあひわたし候へく候、 - 【3732】寛永三年ヵ七月十三日付 勧修寺経広宛書状
于今余酔半ニ御坐候得共、延引如何与捧愚書候、 - 【3763】年代未詳孟陽十九日付 某宛書状
今朝之御会、御礼難得申候、沈酔之余、如何申候哉、 - 【3766】年代未詳仲春廿一日付 金森左京重勝宛書状
昨日者、始而参候処、種々御懇意共、難謝候、于今余酔、無正躰候へ共、為御礼、呈一札候、 - 【3790】年代未詳八月廿五日付 藤堂和泉守高虎宛書状
両殿様何も御機嫌能、御酒をも参候而、亭主も殊外ニ給酔、漸唯今及御報候、 - 【3821】年代未詳六日付 只野作十郎勝吉ヵ宛消息
昨日者、日をくらしかね、さけのみ申候て、すき候て、さん〳〵の躰にて候、かしく、 - 【3850】年代未詳十四日付 高屋松庵宗三宛消息
此中酒続候而、酒熱故にて候哉、大便十分ニ不通、又、春之心欤、筋あちこち痛候、加減候て、内薬一二服可相越候、以上、 - 【3853】年代未詳十四日付 只野作十郎勝吉宛消息
先刻者、早々懸御目候、此中之さけのゆかりにて、今日者、一段心悪候て、くらしかね申候、 - 【3870】年代未詳廿日付 村左宛消息
ひとひハさけニよハり候て、さん〳〵のていしゆふり、さそやあいそもなくおほしめすへく候や、 - 【3894】年代未詳廿八日付 高屋松庵宗三宛消息
身之事、此中、酒少過候へハ、虫たゝり、水落ニ虫より候て、ゑつく、又、さやうに候へハ、痢も然々と通かね、腹中何ともゑつく候、兎角酒之かさなる故と見え候間、ひかへ候へく候、 - 【3913】年代未詳 牟宇姫宛消息
夕は、とりはやしのため、身をすて、さけのみ申候て、かいきもおもり、めひハく申候、 - 【3914】年代未詳 牟宇姫宛ヵ消息
久々とてけさんに入、一しほめつらかに思ひまいらせ候、せいしんあそハし、そめの九もしに事のほか酔候て、いよ〳〵筆をとりかねまいらせ候、くしかたく御入候、かもしのさけふり、おもしろく、おかしく思ひまいらせ候、かしく、 - 【3931】年代未詳 柳生又右衛門宗矩宛書状
今夜火たち候てから、雲州可参にて候、御出候て、御咄候へく候、さけゆるし可申候〳〵、かしく、
伊達政宗文書・補遺(市史せんだい)
- 【補8】慶長十一年か同十四年頃ヵ二月八日付 岩城長次郎政隆宛書状
明日黒河へ参候間、明後日七つ森にて、是非うたせ申度候、昨朝之大酒に于今よハり候て有之事候、 - 【補69】年代未詳廿日付 御たけ宛消息(政宗文書4所載3690号の原本)
いまた朝ノさけもさめ候ハぬに、数〳〵給候て、御まへにて何事をか申上候や、努々おほえも御さなく候、 - 【補85】元和二年、同四年、同六年ヵ九月十日付 美作守伊達忠宗宛書状
其元無替義候哉、可然酒無之候而、此中散々ニ虫気にて候、からき諸白望にて候、 - 【補92】寛永五年六月四日付 藤堂大学助高次宛書状
昨日者、始而申入候へ共、何之御御馳走も不申候而、御残多候、乍去、御酒も能参候而、本懐之到ニ候、昨夕、預御使者候由、給酔、無正躰候而、不及御返答候、何様、以面御礼可申候、 - 【補117】元和五年ヵ中秋廿四日付 細川内記忠利宛書状
昨日者、御出辱候、就中、御心静ニ御酒をも参、扨々忝次第、中々不得申候、
昨日ニも、御礼、書状にても可申入候へ共、可為御沈酔与、延引仕候、 - 【補142】文禄二年〜同四年頃ヵ 茂庭石見守綱元宛消息
三思之礼、心ニかけ候ハヽ、いかて違候へく候や、折ふし酔中、文言いかゝ〳〵、かしく、 - 【補177】年代未詳十九日付 おすき宛消息
昨日の返事とハ申なから、文給候て、まんそく申候、いまたさけのゆかり候や、心わるく候て、めひわく申候、 - 【補195】年代未詳 某宛消息
いかなるわひものと、ふるまひなるやうにて、遊山ニ候間、其心へ候へく候、大さけもはつとにて候、すこしハ酔候てもくるしからぬ事にて候、かしく、 - 【補212】元和九年四月十九日付 七北田検断沼田備前宛黒印状写
但、右之役之外、一すあい役、一酒役、一むろ役、一馬売買役、右四ヶ条之通ニ而、壱ヶ年ニ小判弐両宛、五年之間可指上候者也、 - 【補218】寛永五年七月十八日付 東禅寺嶺南崇六宛書状
日之昨者、始而遂参謁、種々御馳走共、更御礼不得申候、終日之遊興、難忘候、爛酔、于今無正躰、不能詳候、 - 【補273】元和六年三月廿三日付 田中筑後守忠政宛書状(伊達政宗文書3の2159号原本)
昨日者御出、緩々と御咄候而、一人忝存候、即御礼可申入処、亭主散々給酔、御報に罷成、致迷惑候、何様与風参候而、可申述候、 - 【補308】慶長七年、同八年、同十年、同十二年ヵ孟春三日付 某宛書状
扨々、夜前之大之酒、不知数被下候而、于今無正躰候、別而辱仕合共、諸人之見所外聞不得申候、 - 【補320】元和四年ヵ正月十四日付 土井大炊助利勝宛書状
昨日其いわひを仕、 内之者共と酒被下、給酔候処へ、上使ニ御出、如何様之慮外申候哉、致迷惑候、 - 【補330】元和九年極月十七日付 寺沢志摩守広高宛書状
又、入御念候新酒両樽、是又別而忝候、
伊達政宗文書・新補遺(仙台市博物館調査研究報告)
- 【新3】慶長十年代後半頃ヵ 某宛書状
亭主振に事ノ外沈酔候故、自之御礼遅々、令迷惑候、 - 【新9】元和九年四月十九日付 七北田検断宛黒印状(伊達政宗文書の補遺212号原本)
但右之役之外、一すあい役、一酒役、一むろ役、一馬売買役、右四ヶ条之通者、壱年ニ小判弐両宛、五年之間可指上候者也、 - 【新17】慶長十六年〜同十八年か同二十年ヵ二月五日付 金森出雲守可重宛書状
又花入之事、何とやらん被仰候キ、酔中なから忘不申候、かしく、
参考文献
- 仙台市史編さん委員会編(1994)『仙台市史 史料編10 伊達政宗文書1』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2003)『仙台市史 史料編11 伊達政宗文書2』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2005)『仙台市史 史料編12 伊達政宗文書3』仙台市.
- 仙台市史編さん委員会編(2007)『仙台市史 史料編13 伊達政宗文書4』仙台市.
- 仙台市博物館編(2007)『市史せんだい Vol.17』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2011)『市史せんだい Vol.21』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2012)『市史せんだい Vol.22』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2013)『市史せんだい Vol.23』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2014)『市史せんだい Vol.24』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2015)『市史せんだい Vol.25』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2017)『市史せんだい Vol.27』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2018)『市史せんだい Vol.28』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2023)『仙台市博物館調査研究報告 第43号』仙台市博物館.
- 仙台市博物館編(2024)『仙台市博物館調査研究報告 第44号』仙台市博物館.