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伊達の黒船造船の地 呉壺

伊達政宗の慶長遣欧使節が乗り込んだ西洋型帆船の造船地と伝えられてきた漁村で、伊達の黒船にまつわる伝承が数多く残り、昭和十年には斎藤実が揮毫して記念碑が建立された。

伊達の黒船造船の地 呉壺の来歴

図南鵬翼 支倉六右衛門造船地

子爵斎藤実書

慶長ノ昔支倉常長藩祖政宗公ノ命ヲ受ケ…然レトモ使節一行ノ乗込ミシ陸奥丸ノ造船地ニ就キテハ諸説アルモ本村呉壺ノ地ヲ以テ正説トナス、即チ当時雄勝ノ肝煎江川屋利兵衛ノ 記録並ニ代々記及雄勝ナル浄月坊金剛院別当小田法印方風土記ニ依レハ数ケ所ノ造船候補地中雄勝湾ハ風光明媚ニシテ湾入深ク加フルニ僻遠ノ地ナルヲ以テ人目ヲ避クルニヨク剰へ附近密林多ク造船材料豊富ナル等好適ナル為此ノ地ニ決定シタルモノナリ、而シテ慶長十八年二月朔日起工式挙行爾後五ケ月ノ日子ヲ費シ二本マストノ『スクーナー型』長サ十八間幅五間半ノ巨大ナル雄姿ノ完成ヲ見『陸奥丸』ト命名セリ、同年八月中旬牡鹿郡月ノ浦へ廻航翌九月十五日雄々シクモ鵬程万里ノ鹿島立チヲナシ八ケ年ノ星霜ヲ閲シテ重大ナル使命ヲ完ウセリ、翌年八月思ヒ出多キ当地ニ来リ肝煎方ヲ訪ネ具ニ久濶ヲ抒シ遠洋航行及海外事情ヲ談シ此ノ地ニ造船記念碑ヲ建立シタルモハナリト…

『慶長使節 : 日本人初の太平洋横断』

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伊達の黒船造船の地 呉壺へのアクセス

  • 〒986-1333 宮城県石巻市雄勝町雄勝呉壺
  • JR仙石線「女川駅」よりタクシーで23分
  • 三陸自動車道「石巻河南IC」より車で32分

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