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長松山 頼光寺/市指定史跡 梁川宗元の墓

かつては精舎山長松寺と称したが、源頼光により長松山頼光寺と改められ、永正二年(1505)大慈寺三世石源興全が開山となって再興され、のちに周辺を領した梁川宗元が葬られた。

長松山 頼光寺の来歴

風土記御用書出

登米郡鱒淵村賴光寺書出

長松山賴光寺

一永正二年前正法寺後狼川原村大慈寺三世石源興全和尚開山ゟ安永三年迄弐百七拾年

一当山者往古何宗ニ御座候哉精舍山長松寺と申候処其後源賴光朝臣御開基長松山賴光寺と被相改由何年之頃退転仕候哉寺 跡斗相残侯処鱒淵村之城主及川紀伊賴家為大檀那殿堂再建石源興全和尚開山曹洞宗禅林罷成申候永正二年ゟ安永三年迄年数弐百七拾年

(後略)

『宮城県史26 資料篇4』

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長松山 頼光寺へのアクセス

  • 〒987-0901 宮城県登米市東和町米川城ノ内5
  • 三陸沿岸道路「登米東和IC」より車で14分

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