クルス場(黒州婆)の来歴
時宗 長光寺 福原墓園
墓地由来
この墓地は昔からクルス場(バ)と呼ばれ、また黒州婆(場)の文字で表されることもある。クルスはポルトガル語で十字架の意味であり、後藤寿庵がこの地で活躍した慶長〜元和年間の時代、キリシタン信者の墓所があった所である。
慶長一六(一六一一)年、仙台藩主伊達政宗の命により福原の領主に任命されたキリシタン武士寿庵は、寿安堰を開削する等、胆沢平野開拓の大恩人である。福原小路の南方五町 (約五四〇㍍)を隔てた台地に墓所を設け、この地をクルス場と名付けたとされている。当時は七〇〇余坪(二五〇〇平方㍍前後)の面積があったと言われている。
元和九(一六二三)年、キリスト教に対する弾圧が強まり寿庵は塩原から逃亡するが、残った家臣は改宗を余儀なくされ、留守家の配下に組み込まれ、足軽となり全住人が長光寺の檀徒となった。仏教に帰依させられた人々は、厳禁された宗義をはばかってか黒州婆の文字を使用するようになったと伝えられている。
昔は老松が植えられていたと言われているが、昭和四四年の墓地整理で今の姿となった。
平成二三年九月吉日
後藤寿庵福原就封四〇〇年記念事業実行委員会
『現地案内板』より
敬白
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クルス場(黒州婆)へのアクセス
- 〒023-0871 岩手県奥州市水沢外谷地
- JR東北本線「水沢駅(バス停 中央通り二丁目)」よりバスで「桜屋敷西」下車、徒歩9分
- 東北自動車道「水沢IC」より車で12分
- 東北自動車道「奥州スマートIC」より車で4分