毘沙門堂の来歴
毘沙門堂
この地は、かって慶長・元和年間に当地方の切支丹領主、後藤寿庵によって天主堂が建てられてあった場所である。
従って藩政初期の奥羽地方における切支丹信仰の最重要拠点であり、その最盛期には、アンゼルス、カルパリヨ、パウロ、ペトロ岐部らの神父を迎え、福原地区のみならず他地区からも多くの信者が集まり、祭や礼拝が行われた聖地であった。
その後、幕府や伊達藩の度重なる禁教の伝達、特に徳川三代将軍家光によるさらに厳重な禁令に接し、領主寿庵の他領への転出、全地域民の棄教となった。この際、地域民はここに祀られていたマリア像の廃棄を惜しみ、密かに福原小路中部の地に一小堂を建てて礼拝をつづけた。また本地の天主堂は名を憚って「毘沙門堂」と改めた。
昭和のごく初期、寿庵研究者菅野義之助がこの堂の下から切支丹の「メダイ」を発見しているが、切支丹最盛期には、この地区に多数の「メダイ」が秘蔵されていたと思われる。
この毘沙門堂の祭日は昔時から九月九日と決められており、別当は代々高橋家がつとめている。
平成十二年四月
水沢市南地区町内会連絡協議会
『現地案内板』より
寿庵顕彰ふるさとルネッサンス委員会
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毘沙門堂へのアクセス
- 〒023-0882 岩手県奥州市水沢福原
- 東北自動車道「水沢IC」より車で8分
- 東北自動車道「奥州スマートIC」より車で5分