観音堂跡の来歴
観音堂
この観音堂は、江戸初期からの「隠れ切支丹」を物語る貴重なお堂である。当時切支丹厳禁の命により、福原小路の北脇にあった天主堂に祀られていたマリアの木像は焼却を命じられた。
この時、当時この地に居住している菊地氏の先祖がこの像を惜しみ、享保の末年ごろ(一七三五年ごろ)、密かに秘蔵し、自宅の東北隅の地に一小堂を建て「子安の観音」と称して祭日も設け、公に参話をされていた。
その後、宝暦四年(一七五四)春、長光寺二十九世霊山和尚により本尊が観音像でないことが看破された。これを知った組頭伊藤喜右衛門が翌宝暦五年夏、京都四条の仏工・中川権之丞宗攻が羽州神宮寺に来住していることを知り、好機としてこの仏工に「如意輪観音」を刻ませ、それを寄付して祀ったと伝えられている。
しかし、その後マリア像はもちろん、その後の観音像も見当らず、幅三寸・長さ一尺ほどの木の函が堂内の柱にかけて安置され、その函の裏面に「于時天明二壬・寅十二月三十日造之佐々木氏・重郡(花押)」との墨書があり、中には金属製の小函に二個の切支丹メダイが入れてあった。
昔時の信仰を捨てかねた住民が、天明二年(一七八二)に密かに隠し伝えたメダイを函に厳封して納め、再び「隠れ切支丹」として礼拝を続けていたものと推察される。
現在このメダイは別に保管され、お堂内には古い陶製の観音像が祀られて地域住民からの尊信をうけている。
平成十二年四月
水沢市南地区町内会連絡協議会
『現地案内板』より
寿庵顕彰ふるさとルネッサンス委員会
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観音堂跡へのアクセス
- 〒023-0882 岩手県奥州市水沢福原38
- JR東北本線「水沢駅(バス停 中央通り二丁目)」よりバスで「福原」下車、徒歩6分
- 東北自動車道「水沢IC」より車で11分
- 東北自動車道「奥州スマートIC」より車で3分