西湖山 龍島院の来歴
宮城県南部に位置し、北側は山地、南側は圃場整備された水田が広がる村田盆地からなる柴田郡村田町。現在、役場等が建つ町中央の丘陵地に村田城があり、その北側には伊達家の菩提寺で、仙台藩主伊達政宗の七男、伊達宗高の廟所がある西湖山龍島院があります。
伊達宗高は、政宗七男として仙台で生まれ、慶長七年(1613)村田城主となり三万石を領しました。元和九年(1623)蔵王刈田岳が噴火し領内に甚大な被害が発生した際、危険を顧みず易者王翼と刈田岳に登って命願したといいます。この崇高な行いが領民の心を打ち、敬慕されるようになったといいます。
しかし、寛永三年(1626)政宗公と京都へ上った宗高公は天然痘(疱瘡)にかかり、二十歳の若さで亡くなってしまいます。遺骨は龍島院に埋葬され、十名が殉死しました。龍島院山門の傍には、殉死した乳母・お阿知也がこの時植えた樹齢三五〇年の枝垂れ桜がありましたが、現在は樹皮だけが残されています。
西湖山 龍島院へのアクセス
- 〒989-1305 宮城県柴田郡村田町村田大槻下92
- 東北本線「大河原駅」より車で18分
- 東北自動車道「村田IC」より車で4分