七曜塚の来歴
天正十六年(1588)大崎合戦の際、泉田重光・長江月鑑斎らが幽閉された蟻ケ袋城から北東1.2kmの地点に七曜塚があります。これは、伊達勢が大崎氏の新沼城、中新田城を攻めた際の戦没者を葬った供養塚で、民家南東丁字路を起点に半径五〇㍍程が遺跡範囲となり、県道157号線沿いに標柱が建てられています。





天正年間、伊達軍が大崎氏の新沼、中新田を攻めた際、
現地標柱
伊達軍の戦没者を葬った供養塚である。
七曜塚へのアクセス
- 〒989-6322 宮城県大崎市三本木南谷地長寿院浦
- 陸羽本線「古川駅」より車で11分
- 東北自動車道「古川IC」より車で13分