福島県南部、東方の阿武隈山脈と西方の奥羽山脈に挟まれた丘陵地帯に位置する須賀川市。市街地北部に奥州街道の宿場町である旧北町(現須賀川市北町・長禄町ほか)があり、北を流れる釈迦堂川の南岸には、須賀川城落城時の女城主、大乗院(阿南姫)の墓が残る広福山 長禄寺があります。
須賀川城主二階堂盛義の後室大乗院は、伊達晴宗の娘で政宗の叔母に当たり、また先代の会津黒川城主蘆名盛隆は大乗院の嫡子、蘆名義広は孫婿であったことから、政宗が大乗院や家臣らに帰属を働きかけるもそれを拒絶、領内は対応をめぐって分裂状態にあるなか、政宗の須賀川城攻撃を招くことになります。
須賀川城攻防の際、政宗に内応した重臣守谷筑前守俊重がもと須賀川城の西にあった長禄寺に火を放ったため城下が火の海と化し、須賀川城はついに落とされます。落城後、佐竹氏に身を寄せていた大乗院は、佐竹氏の秋田移封に同行中、思い出深い須賀川で病に倒れ、現在地に移転した長禄寺に葬られました。
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広福山 長禄寺へのアクセス
- 〒962-0856 福島県須賀川市北町3
- 東北本線「須賀川駅」より徒歩11分
- 東北自動車道「須賀川IC」より車で7分