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前川本城跡

巨大な二重空堀が築かれる砂金氏の居城で、慶長出羽合戦の際には留守政景を総大将とする伊達軍が宿陣した。

前川本城跡の来歴

宮城県南部、奥羽山脈東麓の山村である柴田郡川崎町。その町域南部に川崎要害の館下町で笹谷街道の中心宿駅川崎宿があった旧前川村(現川崎町前川)があり、村内を東流する立野(轟)川と前川の合流点西側には、戦国期にこの地を治めた砂金氏の居城、中の内城(前川本城)があります。

前川本城の主郭は、東西七〇㍍、南北六〇㍍ほどの方形の平場で、城の北辺は立野川に向かう急崖、残る三辺を土塁が取り囲んでいます。また、尾根へと続く西側は幅一五㍍以上の二重の空堀が築かれ、大手筋である東側は馬出状の郭、内側には枡形を設けた虎口が配され、付近には石積遺構も残されています。

慶長五年(1600)慶長出羽合戦の際、山形の最上勢を救援すべく伊達政宗は援軍を派遣。その総大将であった留守政景らはこの中の内城に宿陣しました。馬上四二〇、長柄八五〇、弓二五〇、鉄砲一二〇〇、その他総勢二七二〇名以上の軍勢で、中の内城主砂金実常も馬上三十騎を率いて此処から出陣しました。

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前川城跡

前川本城跡へのアクセス

  • 〒989-1501 宮城県柴田郡川崎町大字前川字本城山
  • 仙山線「愛子駅」より車で34分
  • 山形自動車道「宮城川崎IC」より車で6分
  • 本城山南麓のY字路付近に案内板と数台分の駐車スペースあり

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