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県指定史跡 津川城跡

建長四年(1252)蘆名氏一族の藤倉盛弘の築城と伝え、金上氏十四代の盛備まで在城したが、摺上原の戦いで金上氏は滅亡、後の領主らはそれぞれの重臣を配置した。

津川城跡の来歴

新編会津風土記巻之一百一 外篇越後国蒲原郡之四 津川町

古蹟

狐戻塁跡 町ノ東北二町ニアリ、頂上マテ三町、周一里計ノ厳山ナリ、其形麒麟ニ似タリトテ麒麟山トモ名ク、西端ノ頂上ニ本丸ノ趾アリ、東西八間・南北十二間計、半腹ニ二三ノ丸、或ハ出丸・馬場等ノ遺趾アリ、西南ハ室谷川ニ臨ミ東北ニ揚川ヲ瞰ル、二水山下ヲ環リ西ニ至テ流レヲ合ス、東ハ石壁高ク屏風ヲタテタルカ如シ、其嶮狐モ過ルコトアタハス此ニ至テ却歩ス、故ニ狐戻ノ名アリトソ、斯ク双ヒナキ要害ナレトモ水ニ乏ク、桔槹ニテ水ヲ汲シ趾山ノ中ホトニアリ、南ノ方ニ隍ヲ回ラシ、往々石垣モ遺レリ、又東南ノ山麓ニ周十八間ノ沼アリ、鶴沼ト云、其上ノ方ニ旧城門アリシトテ今天守ト称ス、相伝テ往古安倍貞任コレニ居リ、又宗任コレニ居ルトモ云、一説ニハ建長四年葦名ノ臣藤倉伯耆守盛弘ト云者コレヲ築キ、子孫相続テ十四代遠江守盛備マテ此ニ住スト云、天正十八年ヨリ蒲生氏ノ臣北川土佐某、慶長四年ヨリ上杉氏ノ臣小国対馬某、同六年ヨリ蒲生氏ノ臣岡半兵衛重政、同十八年ヨリ本山豊前某城代トシテ此ニ居ル、同十九年下野守忠郷其弟中務大輔忠知ニ与フ、忠知幼ケレハ蒲生五郎兵衛郷春城代タリ、元和元年ニ毀ツ、城附ノモノナリトテ馬鞍旗竿鉛子等アリ、今津川町ノ倉ニ蔵ム

『新編会津風土記 第五巻』
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津川城跡へのアクセス

  • 〒959-4402 新潟県東蒲原郡阿賀町津川
  • JR磐越西線「津川駅」より徒歩26分
  • 磐越自動車道「津川IC」より車で3分

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