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総宮神社/金剛山 遍照寺

総宮神社は直江杉など兼続ゆかりの社として知られ、隣接する遍照寺はかつての別当で、伊達輝宗により門前諸公事・寺領段銭が免除されるなど、歴代領主に崇敬された寺院であった。

総宮神社/金剛山 遍照寺の来歴

晴宗公采地下賜録

三一五、下長井宮、ちきやうのとをり、むねやくさし置 候、并田銭前々なきよし申候間、そのことくたるへく候、

   かたくらいき(片倉壱岐)

『山形県史 史料篇15上 古代中世史料1』

伊達輝宗諸役免許状写

下長井之庄宮遍照寺、門前諸公事并寺領段銭指置候事、永代不可有相違候、殊者門弟中借権威有無動之儀者、任先規可加下知者也、仍如件、

   永禄十一年四月廿日 輝宗印

        遍照寺

『山形県史 史料篇15上 古代中世史料1』

伊達輝宗日記

   六月

九日、天きよし、東風ふく、八比より少つゝ雨ふる、米沢へかへり候、にてしたゝめ候、ふろへ入、

『山形県史 史料篇15上 古代中世史料1』

長井總宮神社

長井市横町十四番時二十四号

当社は平安の昔、坂上田村麿将軍が蝦夷地征服の際、日本武尊の御神徳を追尊して白鳥の社をここに創建されたのが始まりと伝承されているものである。

鎌倉時代以降、長井、伊達、蒲生、上杉と歴代領主の信仰厚く下長井郷四十四か村の神社をここに合祭し、下長井郷総鎮守の社として總宮の社号を定めたものと伝えられる。当地の旧村名宮村はこの社に由来するもので特に「宮の明神参り」は江戸時代に最高の賑わいを呈したものであったという。

現在の御本殿は、明君上杉鷹山公ゆかりの宮材を下賜せられ、郷民のすべてが浄財を寄進して建立されたものである。

宝物に木造男神像・木造観音立像外懸仏・鬼面・古鏡・獅子頭など貴重な文化財を伝えている。

中央史談会
中央地区公民館

直江杉(なおえすぎ)

慶長三年(安土桃山時代一五九八)、上杉景勝が越後から会津百二十万石に移封され、直江山城守兼続が米沢城に入った際、下長井一ノ宮に参拝し、杉を植え(直江杉)、剣刀を奉献した。

最上の陣の際には畑谷村(現山辺)、長谷堂(現山形)近辺の神仏を集め總宮神社に合祀している。後に、最上川舟運の船頭たちは、直江杉を宮の一文字杉などと呼び、長井に入ったことを実感したという。

三の鳥居の両袖に東西に伸びる杉九樹、幹周り三~四米強。幹高二五~三米の巨木。

『現地案内板』より

総宮神社へのアクセス

  • 〒993-0087 山形県長井市横町14−24
  • 山形鉄道フラワー長井線「あやめ公園駅」より徒歩5分
  • 東北中央自動車道「南陽高畠IC」より車で27分

金剛山 遍照寺へのアクセス

  • 〒993-0087 山形県長井市横町14−8
  • 山形鉄道フラワー長井線「あやめ公園駅」より徒歩5分
  • 東北中央自動車道「南陽高畠IC」より車で27分

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