岩部山館跡の来歴
伊達天正日記 天正十六年三月廿日条
う 廿日
一天気曇申候。はん方より雨ふり申候。荒砥へ上長井やりのふしをの〳〵とミ沢いつも守・いつミ沢左近衛さしそへられさしこされ候。中山にて草調儀之上首二ッとり申、上被申候。小拾郎大森よりまかりかへり申され候。田手殿より御肴上御申候。
『戦国資料叢書 伊達史料集(下)』
伊達天正日記 天正十六年三月廿六日条
とり 廿六日
一天気吉。中山へ御鉄放差越上候。湯目三河守も被差越候。夜ニ入、東船斎・細谷、越後へ御使ニおほせあけられ候。
『戦国資料叢書 伊達史料集(下)』
伊達天正日記 天正十六年四月十三日条
寅 十三日
一天気よし。中山へ御こへなされ候。御帰ニかん(雁)一あそはされ候。
『戦国資料叢書 伊達史料集(下)』
最上義光書状寫
(前略)當表儀如顕先書候、伊達后室中途へ被出輿、及八十日滞在候而、種々悃望候、殊至項日、□中山境之地へ三十里被寄輿、詫言候条、侍道之筋目無□候間、令納得候、勿論大崎之儀も同意ニ無事成就候(後略)
(天正十六年)七月十八日 義光(鼎形黒印影)
小介川治部大輔殿
『山形県史 資料篇 十五上 古代中世史料 1 三三』
岩部山館跡へのアクセス
- 〒999-2202 山形県南陽市元中山
- 奥羽本線「中川駅」より徒歩15分
- 東北中央自動車道「かみのやま温泉IC」より車で11分