三橋館跡の来歴
伊達天正日記 天正十七年六月六日条
むま 六日
天気昼時分雨少ふり申候、則やミ申候。金川・三橋御動也。大塩あけかたに引申候。けんたやしき(源太屋敷)罷出候則、瀬上殿てつほう指越御申候。御馬大寺近辺ニ御野陣御座候。夜入、金川・三橋・塩川・けいとく(慶徳)いつれも引申候。田村より御状参候。義重、守山へ御動被成候由御注進候。何事無之候よし御理にて候。けつくいてあ(結句、出合)ハせ五六人うち申候よし御申候。
『戦国資料叢書 伊達史料集(下)』
伊達天正日記 天正十七年六月七日条
ひつじ 七日
天気よし。
三橋へ御馬うつさせられ候。黒川近辺迄こと〳〵くむらおし(村押)申候。従田村、橋本新衛門尉と申方御使ニ被指越候。晩方御談合御ざ候。御一家・御一族衆各々参候。
『戦国資料叢書 伊達史料集(下)』
新編会津風土記巻之五十四 三橋村
古蹟
館迹 村ノ末ノ方ニアリ、本丸迹東西四十三間・南北四十二間、二ノ丸迹東西五十間・南北一町五十間計、加納盛時ノ孫三橋太郎義通築ク、義通ハ小荒井組貝沼村及此村ヲ領セシカ、十四代ノ孫越中盛茂天正己丑ノ乱ニ葦名義広ニ従テ黒川ニ退キケレハ、六月七日伊達政宗駒形山ヲ下テ此城ニ拠リシト云、今ハ畠トナリシカ城隍ノ形存セリ
『新編会津風土記 第三巻』
三橋館跡へのアクセス
- 〒969-3505 福島県喜多方市塩川町金橋館ノ内
- JR磐越西線「塩川駅」より徒歩18分
- 会津縦貫北道路「塩川IC」より車で6分