葛西壇/鈴木将監の墓の来歴
風土記御用書出 相去村
一古碑 二ッ
無量庵之内
一石碑 高六尺 幅二尺二寸 右鈴木氏重信先生墓誌 并 銘略ス
無量庵之内
一石碑 高三尺九寸 幅一尺五寸 右古将監内之者之碑文略ス一古塚 十六
『宮城県史 第28 (資料篇 第6)』
(中略)
一葛西壇 高一丈二尺五寸 廻リ十二間
右ハ葛西家御先祖之御墓所と申伝候処年月相知不申候事
(後略)
葛西壇(約800年前の武士のお墓)
径約22mの方形の墳墓で、周囲には土塁と濠が巡っています。
鎌倉時代の葛西清基という武士の墓と伝えられています。清基は、北上市周辺を治めていた和賀氏の初代和賀義行の娘婿でした。年代は不明ですが、この地で亡くなり、ここに葬られたということです。鎌倉時代の武士の墓として貴重な文化財です。
また、伊達藩と南部藩の領境を決める争いの際には塚の名前から葛西氏の旧領を受け継いだ伊達領とされ、両藩の境がこの塚の北側(南小学校の北)となったとも言われています。
江戸時代になって、慶長6年(1601年)の岩崎城の合戦で死亡した鈴木将監重信という伊達藩の武士がここに改めて葬られたことを伝える碑が延宝3年(1675年)に建てられています。
平成10年3月 北上市教育委員会
『現地案内板』より
葛西壇へのアクセス
- 〒024-0051 岩手県北上市相去町葛西檀
- JR東日本「北上駅」よりバスで「北上総合運動公園前」下車、徒歩2分
- 東北自動車道「北上金ヶ崎IC」より車で7分