新田山 耕徳寺の来歴
宮城県東北部に位置し、北上川を境界として南北を区別する藩政期以来の広域呼称がその名の由来という旧桃生郡河南町(現石巻市)。町域の南部、旭山丘陵と須江丘陵に挟まれた水田地帯に旧広淵村があり、片倉小十郎家中町とも称された字新田には、仙台城下五峰山松音寺の末寺、曹洞宗耕徳寺があります。
耕徳寺は、元和六年(1620)民国麟泰の創建と伝え、寛永五年(1628)白石城主片倉小十郎重長が広淵村など十八箇所を知行地として給与されると、重臣片倉重久ら家臣の二・三男を始め三十人余が移住・開墾に当たったのを機に中興され、片倉家中の菩提寺として、寺領一八一文を給与されていたといいます。
万治二年(1659)三月二十五日、重長が七十六歳で没すると、家中の者達は、藩祖政宗、初代景綱、二代重長の木像を安置して追慕し、毎年の祭祀を怠らなかったといいます。耕徳寺境内には、片倉小十郎重長の事績や耕徳寺の来歴、後の報徳事業等が刻まれた「重修耕徳寺片倉氏祠堂碑」も建立されています。
愛宕神社の来歴
耕徳寺南方の高台には、片倉家の氏神を祀った愛宕神社があります。耕徳寺と同様、寛永五年(1628)片倉小十郎重長が当地を拝領して新田開発に取り掛かった際、崇拝する愛宕大権現を刈田郡白石より分祀したとされ、別当は片倉家中の宝珠院、毎年六月二十四日を例祭日として祭りが執り行われてきました。
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新田山 耕徳寺へのアクセス
- 〒987-1222 宮城県石巻市広渕新田129
- JR東日本 仙石線「矢本駅」より車で10分
- 三陸縦貫自動車道「矢本IC」より車で5分
愛宕神社へのアクセス
- 〒987-1222 宮城県石巻市広渕新田134
- JR東日本 仙石線「矢本駅」より車で10分
- 三陸縦貫自動車道「矢本IC」より車で5分
参考文献
- 大場貞一編(1975)『宮城県寺院大総覧』宮城県寺院総覧編纂会.
- 宮城県神社庁編(1976)『宮城県神社名鑑』宮城県神社庁.
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1979)『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店.
- 大塚徳郎・竹内利美編(1987)『日本歴史地名体系4 宮城県の地名』平凡社.
- 河南町誌編纂委員会編(1967)『河南町誌 上巻』河南町.
- 河南町誌編纂委員会編(1971)『河南町誌 下巻』河南町.
- 河南町史編纂委員会編(2005)『河南町史 上巻』河南町.
- 河南町史編纂委員会編(2005)『河南町史 下巻』河南町.