大内宿の来歴
【668】留守雪斎宛書状
就虫気ニ早速被企使者候、大」慶之至候、無手延令養生候条、」本腹候而、明日十五号大内所江」出馬ニ候、仍関東表之事、小田原」悉被押詰、当方ヨリも日光表」打出、所々可属手裏事、暦然ニ候、」珍敷事候者、自陳家可申下候、」万々大宮登之時分、其口之」様躰可承候、扨々有用所、近日」中深谷へ大条越前守・宮河四郎左衛門□」可相下由存候、松山口其外堅固之」御扱任入候、今般上口へ抽忠節、」京表之仕合能候者、万事々々」可為如存分候、恐々謹言、
□□、」今般於小田原ニ表裏、」一々抱之地」被懸取候ニ付而、関白様」御動座無拠存候、
(天正十八年)
『仙台市史 資料編10 伊達政宗文書1』
卯月十四日 政宗(花押)
雪斎
伊達天正日記
天正十八年四月条
十二日
天気よし、各御一家・御一族しゆ南方後□ニ大地迄被打越候、自南方元越被罷帰候而、京都・南方之御様子、委申上られ候、絵図被致候て参候ヲ、御鷹屋ヘ御出キ候て御覧し候、十五日
『戦国史料叢書 第2期 第11 伊達史料集(下)』
天気よし、大地へ御馬にて御出、すなハち御談合候、
貞山公治家記録
天正十八年四月条
◯十一日壬午一家一族ノ輩ヲ相州小田原ノ後詰トシテ大地ヘ差遣サル◯小田原ヨリ修験道元越帰リ京都小田原ノ御様子委細言上ス其上絵図ヲ作リ持参献上ス御鷹屋ニ於テ御覧アリ
◯十三日甲申晩須賀川白川両所ヨリノ使両人〔氏名不知〕御目見仰付ラル◯大和田筑後磐城ヨリ帰ル
◯十五日丙戌天気好大地ヘ御出馬御着即チ御談合アリ
◯十六日丁亥小田原ヨリ富田丹波〔諱不知〕帰ル即チ御前ヘ召出サレ南方ノ様子聞セラル◯入夜御談合アリ
◯十七日戊子御談合アリ片倉小十郎景綱片倉以休斎原田旧拙斎召加ヘラル
◯十八日己丑浜尾駿河盛泰ニ御書ヲ賜フ御出馬ニ就テ来札喜悦シ給フ御備ニ於テハ心許ナキ義有ルへカラス然レハ先日ハ御虫気ニ就テ来越大義ニ思サル勿論須賀川ニ然ト可罷在事肝要タルヘキノ旨著サル
『伊達家治家記録 第1』
大内宿へのアクセス
- 〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大内
- 会津鉄道会津線「湯上温泉駅」よりバスで「大内下」下車、徒歩4分
- 東北自動車道「須賀川IC」より車で64分
- 東北自動車道「白河IC」より車で55分
- 磐越自動車道「新鶴スマートIC」より車で45分