大里城とも称され政宗の軍勢に攻められるも最後まで落城しなかった名城

福島県中通り中部、釈迦堂川支流の竜田川上流に位置し、戦国期には須賀川城主二階堂氏の勢力圏に属した旧岩瀬郡大里村(現天栄村大里)。集落の北側、奥羽山脈から伸びる尾根の先端には、大里城とも称され、伊達政宗の軍勢に攻められるもついに落城しなかったと云う牛ヶ城跡があります。

城主は須賀川二階堂家の重臣矢田野安房守義正で、三方を急斜面で囲まれた城の規模は東西二五〇㍍、南北二八〇㍍、比高五〇㍍の山頂に本丸、その東南に三角形の二の丸が延び、周囲は幾段もの郭が構えられていました。築城時期は室町時代とされ、天正年間の前半頃に大幅に改修された跡が残されていると云います。

天正十八年(1590)政宗に従って小田原に参陣した矢田野安房守義正でしたが、小田原に着くと間も無く逐電して佐竹の陣所に駆け入り、前後して矢田野一族は大里城に立て籠もって政宗に反旗を翻しました。政宗の厳令が黒川城の成実に伝えられ、石川昭光、片倉小十郎らの軍勢が大里攻めに向かうことになります。

羽黒山城跡

矢田野安房守義正の城代桑名因幡の居城であった羽黒山城は、大里城の南東に位置し、山頂には土塁に囲まれた砦の跡が残り、中央には羽黒権現が祀られています。古くは山伏の祈祷の場であったこの山城は、伊達勢に最初に攻め落とされ、石川昭光が入城して陣を張り、大里城攻めの拠点となりました。

関場山館跡

大里城の南西、華嶽山 大方寺の背後に位置する関場山には片倉小十郎が入り、南の攻め口となりました。山頂部は鉤形で土塁に囲まれ、西から南側にかけて横堀が一周しています。更に大里城の東、陣屋久保館には成実が入り、信夫、伊達、刈田、柴田等の軍勢も参加しましたが、城は容易には落ちませんでした。

すでに小田原は落ち、秀吉は会津に向け出立。米沢から大里の陣地に至り、秀吉が待つ宇都宮に到着した政宗は、浅野長吉から大里城の包囲を解き葛西大崎の仕置に参加するよう諭され、領内の狼藉と火付禁止を命じられました。一ヶ月以上にも及ぶ激しい篭城戦は、県内における戦国最後の戦いとなりました。

村指定史跡 牛ヶ城跡へのアクセス

  • 〒962-0504 福島県岩瀬郡天栄村大字大里向舘
  • 東北本線「矢吹駅」から車で15分
  • 東北自動車道「矢吹IC」から車で13分

羽黒山城跡へのアクセス

  • 〒962-0504 福島県岩瀬郡天栄村大字大里羽黒山
  • 東北本線「矢吹駅」から車で15分
  • 東北自動車道「矢吹IC」から車で13分
  • 石川昭光の陣場跡と伝わる

関場山館跡へのアクセス

  • 〒962-0504 福島県岩瀬郡天栄村大字大里都沢
  • 東北本線「矢吹駅」から車で16分
  • 東北自動車道「矢吹IC」から車で14分
  • 片倉小十郎の陣場跡と伝わる

陣屋久保館跡へのアクセス

  • 〒962-0504 福島県岩瀬郡天栄村大字大里丹下
  • 東北本線「矢吹駅」から車で16分
  • 東北自動車道「矢吹IC」から車で14分
  • 伊達成実の陣場跡と伝わり、東側にも同名の館跡がある