畠山氏の居城で、粟ノ巣の変以後は政宗の仙道南下の拠点となる

福島県のほぼ中央、本宮盆地の南半と阿武隈山地西麓からなる本宮市。市域中央を北流する阿武隈川の左岸に、中世以来仙道と会津とを結ぶ要衝の地であった旧安達郡本宮村(現本宮市本宮)があり、市街地北西部の丘陵地帯には、畠山氏の居城で、伊達政宗の仙道南下の拠点として利用された城館、本宮城があります。

本宮城は、南は安達太良川、北は五百川、東は阿武隈川に囲まれた比高約三〇㍍の丘陵地帯に位置し、安達太良神社のある菅森山と西側の花山にまたがって菅森すがもり館、これより北東の大黒山に鹿子田かのこだ館、南方の愛宕神社一帯に愛宕館があり、南北三〇〇㍍ほどの近さで隣接し、居館を含めたこれら三つの館の総称であるとされています。

本宮城は、南北朝期の応永・永享年間(1394~1441)二本松畠山国詮の次男満詮が鹿子田館を築き鹿子田氏を称したのが始まりで、天文年間(1532~1555)には畠山重臣川崎宗頼が本宮城に入って本宮氏を称すも宗家との相続争いに敗れ岩城へ敗走。天正年間(1573~1592)畠山義継は菅森館、鹿子田館、愛宕館に城代を配し二本松領内南方の押さえとしました。

天正十三年(1585)十月の粟ノ巣の変以後、畠山勢は二本松に兵力を集中して籠城、政宗の襲来に備えました。同年十一月、畠山氏救援に北上する佐竹・葦名氏ら連合軍を迎撃すべく政宗は小浜を出立、岩角を経て本宮に入り、人取橋などで激戦が繰り広げられました。翌年、二本松は落城、以後、本宮城は政宗の仙道南下の拠点として利用されました。

また、菅森山頂には安達太良神社が鎮座しています。久安二年(1146)安達太良峰に祀られていた各社を菅森山に遷座して安達郡総鎮守とし、一郡の本宮であることから本目村を本宮に改めたと云います。かつては菅森山麓にありましたが、文化三年(1806)本宮宿大火で類焼したため、同十三年、山頂に遷宮せんぐう再建されました。

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本宮城(菅森館・鹿子田)跡 / 安達太良神社へのアクセス

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愛宕館跡へのアクセス

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