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瀬戸川館跡

畠山氏家臣瀬戸川氏の居館跡で、人取橋の戦いでは伊達成実が布陣し、佐竹・蘆名ら連合軍の猛攻を迎撃した。

瀬戸川館跡の来歴

福島県中通り中央部、大名倉山塊と本宮盆地の南半、阿武隈高地の西麓とからなる本宮市。市域南部、南境を東流する五百川と北流する阿武隈川とが合流する西岸部に旧安達郡仁井田村(現本宮市仁井田)があり、村域北端の字桝形には、畠山家臣瀬戸川氏の居館であったという瀬戸川館跡があります。

瀬戸川館は、本宮市街地の南を東流する瀬戸川の北岸、東に張り出した舌状台地先端部に築かれた平城で、最高所には四〇㍍四方の土塁に囲まれた「桝形(工場用地となり消滅)」があり、その東方三〇〇㍍に位置していました。南側前方を流れる瀬戸川を堀とし、周囲は土塁と空堀を巡らしてあったと伝えられます。

天正十三年(1585)十一月十七日、伊達政宗は観音堂山に本陣を置き、二本松畠山氏救援のため北上する佐竹、蘆名氏らの連合軍を迎撃、激戦を展開しました。この人取橋合戦で、伊達成実は本陣左翼前方である瀬戸川館を中心に布陣し、敵方の猛攻を撃退。成実方一〇〇〇余、攻撃方三五〇〇余であったといいます。

現在の瀬戸川館跡は宅地化が進んでいるものの、館跡にある公園の片隅には、有志によって昭和三十一年(1956)四月に建立された石柱が建立されており、住宅団地造営に先立って昭和四十六年(1971)九月に行われた遺跡発掘調査では、郭跡、土塁、空堀、虎口、狼煙場、建物跡などの遺構も確認されました。

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瀬戸川館跡へのアクセス

  • 〒969-1103 福島県本宮市仁井田桝形
  • 東北本線「本宮駅」より車で8分
  • 東北自動車道「本宮IC」より車で7分

参考文献

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編(1981)『角川日本地名大辞典7 福島県』角川書店.
  • 平井聖・ほか編(1981)『日本城郭体系3 山形・宮城・福島』新人物往来社.
  • 福島県教育委員会編(1988)『福島県の中世城館跡』福島県教育委員会.
  • 庄司吉之助・小林清治・誉田宏 編(1993)『日本歴史地名体系7 福島県の地名』平凡社.
  • 本宮町史編纂委員会, 本宮町史専門委員会編(2002)『本宮町史 第1巻 通史編1 原始・古代・中世』本宮町.
  • 本宮町史編纂委員会, 本宮町史専門委員会編(1999)『本宮町史 第4巻 資料編1 考古・古代・中世』本宮町.

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