庭坂塞の来歴
庭坂砦跡
南北朝時代(1336~ 1392年)、この場所に北畠顕家の家臣其の館があったと伝えられております。上杉景勝は米沢30万石に移封(1601年)されると、この場所に「庭坂砦」を築きました。青柳隼人佐が庭坂将として米沢街道の警備、庭坂の開発の指揮をとったのです。
文・製作/吾妻地区郷土史談会
『現地案内板』より
伊達天正日記
天正十六年(1588)五月条
五月十四日 とり
天気よし、巳ノ刻ニ御出馬也、山上之原迄 御曹子様御かと送ニ御出也、普門院、羽黒堂にて御酒上御申候、其後富沢伊与御酒上被申候、大小屋にて小や主御酒上申候、にわさか麓にて瀬上殿御酒上御申侯、桑折殿御迎ニ御参候、さゝ木野之原へ桜田右兵衛、おての森へ草いたしくひ五ツもたせまいり被申候、生捕一人御座候由被申上候、又安子か鳴へ本宮・高倉相談を以、草いたし遂一戦、首ニツ上被申候、会津御前様御遠行之由きこへ申候、御日待也、
『戦国史料叢書 第2期 第11』
貞山公治家記録
慶長五年十月条
信夫郡福島表ノ敵兵 公桑折表ニ御出張ノ由ヲ聴テ桑折町マ テノ間処々ニ出向テ相備フ米沢ヨリ福島ノ援兵トシテ大関常 陸芋川縫殿人数ヲ引具シ来ル時ニ庭坂ノ土民等 公へ味方ニ属スヘキ所存アル故ニ五十余人打出常陸縫殿人数ニ突懸ル然 レトモ両人能働テ打敗リ福島へ着陣シ城主ニ此由ヲ告テ当町ノ者共モ叛心難計ト称シ町人ノ妻子ヲ質トシテ奪取ラシム福 島城ニハ城主本荘羽重長其子同弥次郎及ヒ一手ノ将トシテ青木隼人川田玄蕃武者奉行斎伊豆入道道二等其勢数百騎相籠ル今朝霧深ク前後見エサルニ 公ノ御先手ヨリ段々人数ヲ押出ス(後略)
『伊達家治家記録 第1』
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庭坂塞へのアクセス
- 〒960-2261 福島県福島市町庭坂休所
- JR奥羽本線「庭坂駅」より徒歩12分
- 東北中央自動車道「福島大笹生IC」より車で10分
- 東北自動車道「福島西IC」より車で14分