国指定史跡 桑折西山城跡の来歴
福島盆地北部、阿武隈川の左岸に位置する伊達郡桑折町。奥州・羽州街道の分岐点を掌握する交通の要衝となるこの地に、伊達稙宗の居城であった桑折西山城が構えられていました。北東部は断崖、麓には産ヶ沢川が流れる標高一九三㍍の高館山に築かれた山城で、天然の要害でした。
天文元年(1532)頃、伊達稙宗は手狭となった梁川城からこの西山城に移り、桑折の町家を整備し塵芥集を制定するなど、領国支配のための制度を整えていきましたが、これらの政策は一部の者には不都合な場合もあり、頂点に達した彼らの不満は稙宗に向けられ、骨肉の争い、天文の乱へと発展していきます。
発掘調査により、本丸は壊されていたものの中館・西館は石積の枡形虎口があり大規模な空堀を備えるなど、より堅固な城に造り替えられていた事がわかりました。これにより天文の乱後一旦廃城となった西山城が、戦国末期に秀吉との緊張関係が増した伊達政宗により改修された可能性が指摘されています。
国指定史跡 桑折西山城跡へのアクセス
- 〒969-1651 福島県伊達郡桑折町万正寺本丸
- 東北本線「桑折駅」より車で7分
- 東北自動車道「国見IC」より車で11分