福島盆地の北端、伊達郡国見町に阿津賀志山と呼ばれる山があり、奥州藤原氏が築いた大規模な防塁跡が残されています。源頼朝軍との決戦場となったこの防塁跡は、山腹を始点に三㌖余にも達し、延べ四〇万人を動員し築造されたと考えられています。
文治五年(1189)八月八日、奥州藤原氏はこの地で頼朝軍と戦うも阿津賀志山防塁は陥落。総大将であった西木戸国衡は敗走しますが、柴田郡大高山付近で討ち取られたといいます。合戦後、この一帯は常陸入道念西の所領となり、念西は息子らと移住して伊達氏の始祖となりました。
のちの慶長五年(1600)十月、東軍勝利の知らせを聞いた伊達政宗は、まだ兼続らが状況を把握できない中、白石城に入り桑折筋進軍を指示。伊達・信夫郡経由で上杉領へ攻め入る際、この阿津賀志山に本陣を置きました。上杉勢の軍勢をあまた討ち取った政宗は「残す所無き手際」と自画自賛したといいます。
阿津賀志山防塁へのアクセス
- 〒969-1713 福島県伊達郡国見町大木戸阿津加志山一
- 東北本線「藤田駅」より車で5分
- 東北自動車道「国見IC」より車で5分