県指定史跡 伝・佐原義連の墓の来歴
福島県指定史跡 伝佐原義連の墓
昭和三十一年九月四日指定
所在地 耶麻郡熱塩加納村大字宮川字墓の西
所有者 国有ほか
管理者 熱塩加納村教育医委員会会津蘆名氏の祖佐原十郎義連は、三浦大介義明の子で、源頼朝より会津の地を与えられ、領主になったといわれている。
中央にある宝篋印塔が義連の墓と伝えられるもので、寛文八年(一六六八)保科正之が山崎闇斎に命じて史実をさぐり、元禄八年(一六九五)松平正容が志を継いで「佐原義連之碑」をそばに建立した。
宝篋印塔は高さ二・三メートルで南向きに立ち、塔身には四方仏の種子がほられている。基礎は短形を二つ並べた形に彫りくぼめ、友花は形式化している。この形式は猪苗代町川桁の観音寺にある応永十八年(一四一一)の銘のある宝篋印塔に似ており、室町時代の形式であるところから、義連の歿後しばらくしてから建立したものと思われる。
塔の周囲にある五輪一〇基は家臣の墓といわれるが、現存のものは明治四十四年に行われた義連七百五十年祭のおり改修したものである。
義連の歿年は明らかでなく、当初の墓所も不明であるが、この塔は蘆名氏に続いて保科(松平)氏も保護の手をのべた歴史的経緯があり、宝篋印塔としても本県に遺存するものの中ではすぐれているところから、史跡として高い価値がある。
福島県教育委員会
『現地案内板』より
県指定史跡 伝・佐原義連の墓へのアクセス
- 〒966-0105 福島県喜多方市熱塩加納町宮川墓ノ西
- 磐越西線「喜多方駅」より車で14分
- 会津縦貫北道路「喜多方IC」より車で16分